祖父の葬式

近しい親戚が亡くなるのは16年ぶり3度目、ものが分かる状態では初である。特別な体験だった。最近節目の日を迎えたこともあり、記録する。

遠方に住んでいるので電話で訃報を受けた。午後八時。次の日の夜の飛行機で葬儀に向かう。家を午後三時に出て、空港に着くのは午後六時、もう真っ暗である。自分は実はその3週間前、1年ぶりに帰省していて、ほぼ寝たきりの祖父が起き上がって1時間位喋るのを聞いているし、起きてきてYoutubeを一緒に見たし、別れ際に手も振り返してくれたので「死」の実感などない。

空港が好きだからワクワクして写真を撮った。暗くて広い国際空港なので余計である。妹は筆箱の中にハサミを持っていたので廃棄されてしまった。高額高速の交通手段である飛行機に乗るのは緊急事態の時だけなので16年ぶりである。妹は受験を控えているので機内で勉強している。自分もテストが近く一応参考書を読む。出発の日は全休、一泊して翌日の授業は教授に連絡を入れ欠席。向こうの空港は小規模である。親戚の車に乗せてもらい家へ。お通夜は家で行われたものの飛行機が間に合わないため参加できず。一年に二回しか会わない親戚に三週間ぶりに再会。遺体はお通夜をした奥の部屋にあり、清潔で、大事に守られている。死に化粧ももう終わっていた。見たことない仏具がいろいろ置いてある。遺体の前に正座し、清潔な死は新鮮で正しいと感じる。しかしそんなことより単純にショックである。やはりちょっと涙が出るが皆隠している。特に祖母。その後ご飯だけ食べた(お通夜用のデカ弁当)。このご時世なので家族葬。お盆と正月にいつも集まっている見知った親戚しかいないので和やかではあるが妙な雰囲気の食卓。祖母も昔に比べ体は弱っているから、あとやはりいつもより元気がない気もするので、みんなで蒲団を出したり片づけをして一時に就寝。祖母と父は祖父の遺体の真横で寝ていた。さすがに怖くないのかと思った。夜は物凄く寒かった。真冬だから仕方ない。

七時起床。朝は菓子パンだった。こんな朝食は今までの帰省で一回もなかったので、非日常に興奮した。九時になったら葬儀屋さんが来た。前(16年前、曾祖母のとき)もお世話になったらしい。葬儀屋さんの話を皆で座って聞いているときの祖母の背中があまりにも小さくて驚いた。元々小柄ではあるが、その時は本当に小さく見えたのである。遺体に色々と装備を付け、棺に入れ、生前好きだったものを入れた。装備を付ける時自分の手に祖父の手が当たり、めちゃくちゃ冷たかったので「これが死か」と驚愕したが、蒲団に氷を入れていると聞いて安心。氷の冷たさだった。棺に入れる時、みんなで持ち上げたが、普通に重かったので人間の重みだと思って安心した。祖父は死んでも人間だったと思って安堵した。そして肩幅が広いなーと思った。昭和初期生まれのわりにかなり大柄だった。祖父は免許を返納していなかったため棺に入れることになった。免許を見ると、90代にも関わらず大型特殊と大型二輪免許を所持した状態だったことが分かった。そこは面白かった。

仏壇とその上にかかる掛け軸がとても豪華だった。仏壇はもともとあり、そこには曾祖父母の位牌がある。この人たちは祖父の両親である。棺が仏間から縁側を通り庭に出る。そこから外へ出る。霊柩車に棺が入っていく。それを喪服の皆が門の前に立って見ている。この光景が忘れられない。とても寒くて快晴だった。道路の向こう側に近所のおじいさんがいた。この人は我が家と昔からかなり親しい人で、とても近所に住んでいて、名字も一緒なので、多分家系を辿っていけば繋がるんだろうと母が言っていた。お互いに礼をした。そして手を合わせて棺を見送った。

その後自家用車に分乗して葬儀場へ向かう。受付担当を命じられたが、誰にも伝えてないので当たり前だが誰も来ない。客は8人しかいないが、葬儀会場の壇には花が飾られていてなかなか豪華だ。祖父のデジタル写真が飾ってある。ちょっと遠い親戚からお花が来ていた。葬儀が始まったらいよいよ悲しくなってきた。泣きじゃくらないように泣いているが鼻水が信じられないぐらい出て、マスクがあってよかったと思った。父が喪主で何か話していたがあまり頭に入ってこなかった。この時父が泣いてるところを生まれて初めて見た。細かい内容は忘れたが、祖父は望み通りの状況で最期を迎えたことが分かって安堵した。平均寿命を優に超えて町内で一番高齢だったし、長く苦しんだ訳でもなく、家で亡くなった。だから悔いみたいなものはない。しかし凄く寂しい。少し思い出すと涙が出てくるが、気持ちの整理はついている。亡くなる少し前に運よく会えていたのもある。容態が好ましくないのは昨年も同じだったが、お盆も正月も感染の状況が良くなく帰省できなかったのである。今年の正月は感染状況が落ち着いていた。

お焼香はこの日トータル5回ぐらいしたが、最初2回ミスった。調べておけばよかったが、今思うと家族葬なら大恥をかくこともないのでラッキーかもしれない。葬儀のナレーターさんのナレーションがあまりに流暢で、声の強弱も抑揚も雰囲気がありすぎた。お坊さんが何かを唱えている間ずっと圧倒されていた。お化け屋敷とかで流したら怖いんだろうな…と感じつつも、何だか安心する節だなあ。と思っていたら突然シンバルのようなものを鳴らされたので驚いた。音がでかすぎる。

焼き場につくと先に棺が置かれていて、スタッフの人の合図で炉?に入っていく。横についているボタンを押すと焼き始める。ボタンが押されると、ゴウンみたいな音がして、稼働したのが分かった。早くここを出たいと思った。ボタンを押すのは家族の担当だったので父が押した。押す前、父が祖母に確認したら急かすように頷いていた。踏ん切りがつかなくなるからそうするのかなと勝手に思った。この葬儀中、祖母を見ているのが一番辛かった。父も言ってたが、祖母には今後悠々自適な暮らしをしてほしい。

焼いている間、親族は昼ご飯を食べるため別の建物の部屋に移動したが、ここで出てきた弁当が過去に食べた弁当の中で一番量が多かった。多すぎるので誰一人食べきれず持ち帰った。しかし味は美味しかった。特に刺身と煮魚を皆絶賛していた。部屋のテレビがついていて、ひるおびでベトナム人実習生のことをやっていた。雰囲気は非常に和やかで、頼まなくていいコーラを頼んだりしてワイワイ談笑した。祖父の戒名を見て、由来を予想するも簡単すぎた。それにしても弁当の量が多すぎて苦しくなった。

1時間くらいしたら葬儀屋さんが呼びに来て、焼き場へ戻ると骨があった。骨を見たら本当に涙が止まらないだろうなと思っていたがそんなことはなかった。骨だ…と思っただけだった。骨を祖父と認識できなかったためである。もしくは、談笑と満腹を経て心が落ち着いたのかもしれない。または、人骨を見ること自体がレアなのでその衝撃が勝ったのかもしれない。その全部かもしれないがどうでもいい。

骨を拾って壺に入れるが、骨が大きくて多く、そのままでは腰骨あたりまでしか入らないので、葬儀屋さんがすりこ木のような謎の道具を使ってバキバキに砕いて無理やり頭まで入れていた。ちょっと笑ってしまったが、骨がしっかりしていたことへの安堵と一緒にある笑いだ。骨は白くて綺麗だった。清潔だと思った。「死」からイメージするものの対極にあるような気がした。

骨壺を持って墓へ向かう。3つぐらい横にある代々の墓から分離して曾祖父と曾祖母だけが今まで入っていた墓に祖父も入る。墓の下のスペースに3つ壺が入っているのをみんなで順番に見て、おおーとなった。その内ここに入る人もいれば、入らない人もいる。墓の横の部分には曾祖父と祖父の名前が書かれていた。それぞれ黒字と赤字である。両方黒字になるのかと思ったら悲しかった。寂しかったという方が正しいか。墓に刻まれている名前を眺めていると、ここに加わる祖父は歴史になったんだなあと感慨深い気もするが、やはり寂しいが勝つ。

納骨が終わったら家に戻り、葬儀屋さんの説明を聞いてから、子供たち()は思い思いにダラダラとした。自分は主にマッサージチェアに座った。色々な相続の話は大人がやるから子供はお菓子を食べたりして数時間過ごした。夜ご飯は6時ごろ近所のお好み焼き屋のテイクアウトを取りに行き、食べたがこれもかなり量が多かった。食べ終わってすぐ、また同じく親戚に空港に送ってもらって自分と母と妹は家に帰った。父はまだいろいろ手続きがあるので残った。夜の空港は夜の学校や海と同じくらいロマンチックで、どんな状況でも最高の場所である。帰りは疲れてずっと寝ていた。家に着いたら11時だった。すぐ就寝。

自分より先に死ぬ人の数を数えたら寂しくなった。しかし摂理なのでただただ寂しいだけである。残された方が寂しいだけであり、誰も時間には逆らえず、順番が来るのを待つだけだ。死が平等で良かった。また、祖父の姿を見たら、できるだけ寿命を全うしようと思った。納得合格、納得内定、納得結婚、納得死。あと、しっかり家族や子孫がいて、その人たちに囲まれて送り出されるというのは中々良いな…とも思った。そして親たちだけが待つ墓に入って、しばらくはまた子供になる。現代人の幸福は家庭を持つことではないと思っているのでこれは新たな発見だった。でも死んだ本人はその後のことは分からないだろうし何とも言えない。(女の人は知らない先祖の墓に入ることになるのが嫌だと思った。それに家族仲もそれぞれだ。家と墓はもうちょっとやり方があるだろう)ただ、途中で死ぬのは良くない気がしてくる。

寿命を全うしてあとの死は人としての完全だと思った。そして、死は全然穢れじゃないじゃんとも思った(自分のおじいちゃんだからかもしれないが)。「不幸」だが不幸ではない。以上で終わる。

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