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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<3>
秘密のおまじない
4歳になった私は幼稚園に通うことになった。それまでほぼ大人としか過ごしてこなかった私が初めてよその子と集団行動をすることになり、親よりも先生に怒られる機会が増えて、行きたくないと毎朝泣きわめいては母に「みっともない!他の子はみんな幼稚園大好きって喜んで行ってるのにお前は!お母さん情けなくて涙が出てくるわ!」とヒステリックな声を上げるので次第に私はおとなしく通うようになった。
幼稚園では日々驚きと疑問の連続だった。
何故、お弁当を食べる前には手を洗うの......?
ーーお父さんもお母さんもご飯の時手を洗わないのに。
どうして、優しい先生とそうでない先生がいるの......?
ーー糊でべちゃべちゃになった折り紙を見て怒る先生もいれば、しりとりの名人だねって褒めてくれる先生もいる。
なんで、私は毎日同じズボンばかり穿かされているの......?
ーー私もマミちゃんやナナちゃんたちが着てるようなお洋服がいいのに。
分からないことだらけで、私の指をかむ癖は一層ひどくなったが数々の不思議なことについて、親や先生に尋ねたことはない。聞いても怒られるか誤魔化されるだけだともう、分かっていたからだ。
おままごとではいつも赤ちゃんの役をやらされた。いつも泣いてたからだろう。本当はお父さんの役がやりたかったのに。優しくて頼りになるお父さんになってみたかった。現実の父はいつも母をバカ野郎と怒鳴りつけて殴ってたから。
父の仕事場に永田さんというおばさんがいた。父よりかなり年上で、男に混じり汗まみれで力仕事をしていて......そしてなによりすごく優しい人だった。永田さんのご主人も私を我が子のように可愛がってくれた。月に一度くらい父と夫妻の住むアパートに遊びに行くのが楽しみで仕方がなかった。ご主人は貿易だか何かの仕事をしていて、舶来の菓子をふるまいながらよく私に外国の話をしてくれたり、英語を教えてくれたりした。つらかった幼少期の私にとってあの人たちは神様みたいな存在だった。誕生日にはキティちゃんの腕時計をプレゼントしてくれたのが嬉しくて嬉しくてこっそりポケットに入れて幼稚園にも持って行ったし、毎日欠かさず腕につけて眠っていたーーあ、もう8時だ。おじさんとおばさんは寝てるかな?私、本当はおじさんとおばさんの子じゃないの?ねぇ、いつか迎えに来るよって、言ってよ。私、お家のお手伝いもするし、ちゃんとおじさんに教えてもらった英語、沢山お勉強するから。お願い。ラビット、ペンシル、エレファント、グッドナイト、ミスターアンドミセスナガタ......毎日毎日おまじないのように眠る前に唱えた。
あの頃は妹が泣くといけないからとテレビもあまり見せてもらえなかったので、永田のおじさんや工場の社長さんのお子さんたちのおさがりの本を読むことだけが楽しみだった。児童文学、学習マンガに伝記。特に好きだったのは図鑑で、穴が開くほど、書いてあること全部覚えてしまうほど飽きもせずに見た。いつか、おじさんみたいに世界中に行きたいなと思いながら新しい国の名前を見聞きする度にお絵かき帳にクレヨンで書いた。にしドイツ、ひがしドイツ、カナダ、メキシコ。ちゅうごくはちかくて、アメリカとフランスはとおい。ブラジルはもっともっととおい。わたし、それんやインドにもいってみたい。エジプトの人もおにぎりをたべるのかな。イギリスの子もおえかきをしますか。いじわるなせんせいはいますか。せかいのおともだちとおままごとがしたい。わたしはファーザーになるから、アンはおねえさんの役だよ。おねえさんってえいごでなんていうのかな。こんどおじさんにわすれないようにきかなくちゃ。あ、もう8じだ。アンはようちえんにいくじかんかな。わたしはもうねます。グッドナイト、アン。