自分を赦すこと、諦めることの本質
苦しんでる人に読んで欲しいな。
「諦聴諦聴」という言葉があります。
「明らかに聴き、明らかに聴け」
という。
「諦める」の「諦」は、「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味があるのです。
よく諦めないことは素晴らしいと言われますけど、諦めることは諦めないことより難しい。諦めた、と言いながら棚ぼたを待ってたりする。それは諦めたんじゃなくて努力をやめただけ。
自分のできないことを明らかに見て、そういう自分を許してあげる。
それは自分ができることを限界までやったから、許してあげられるわけです。
自分の力ではどうにもならないことをどうにかしようとすることを、親鸞は、「行者の計らい」と呼びました。
人から評価されない、人気者になれない、そういうことは、自分の努力だけではどうしようもできない。そういうことで自分を責めてはいけない。
自分ができることをすべてやったのなら、もしその結果があなたの思うようにならなくても、あなたのせいではない。
あなたの人生はあなたにちょうどいいようにできている。
南無阿弥陀仏。
阿弥陀仏様の思し召し通りに生きよ。
それは自分を赦すこと。
それが「他力本願」の本当の意味。
それが「諦める」の本質だと。
このましろさんの文章はそこを素晴らしくいい言葉で表現できていると思います。