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感情と協調性を失った今…
こんにちは薩美結愛です。
最近、私は自分にとって意外なことに気づきました。
それは、私には協調性も感情表現も欠けているという事実です。
薄々感じていたことではありました。
ですが、改めて向き合うと、どうしてこんな風になってしまったのかが分からなくて、少し戸惑いを覚えました。
でも、振り返ってみると、いくつか思い当たることがあります。
毒親には“いい子さん”を強いられる
一番の原因は、やはり幼少期の過ごし方にあるのかもしれません。
私が感情を表に出さないのは、ただ良い子でいることが求められ、親に怒られないように必死に「手間のかからない子ども」でいようとしたからです。
おそらく、それが今の私の感情を押し込める癖に繋がっているのでしょう。
無感情な私…
大人になってからは、感情を出すことがますます怖くなりました。
相手にどう思われるか、どう受け取られるかが気になってしまいます。
いざ感情を表現しようとすると、「メンヘラ」「かまってちゃん」に思われたらどうしよう…とそのことばかりが頭をよぎります。
気づけば、ありのままの自分を見せることすら恐れてしまっていました。
自分が本当はどう感じているのか、どう思っているのか、それすらもよく分からなくなって今に至るのです。
協調性の欠落
次に、よく指摘されるのは「協調性のなさ」です。
私は誰かと行動しているときでも、知らぬ間に一人で動いてしまっていることがよくあります。
その度に、周囲から「どうして他人のことを考えて行動しないの?」と責められます。
そして最終的には、「もうあなたとは一緒にいられない」と言われてしまうこともしばしば…。
「どうしてこうなってしまったのだろう?」と、何度も自問自答しました。
それを思うと、子どもの頃、家族の中で過ごしながらも、どこかで家族を「他人」のように感じていたことに気づきます。
親や姉妹はいたけれど、どこか他人と共同生活をしているような感覚…。
そして未成年だから大人が一緒に住んでいるというような、そんな曖昧で疎遠な感覚が強かったのです。
そうして、私は自然とコミュニケーションが苦手になり、次第に孤独を感じるようになりました。
ネットの世界が心の居場所
20年以上、私は有名なゲームの世界に閉じこもって、そこで心を満たしていました。
今でも、そのゲームを一人でプレイすることには何の違和感もありません。
その孤独に包まれた日々の中で、私は他人との距離感をうまく取ることができませんでした。
現実世界では、もうどうすることもできないと感じて、半ば諦めてしまっています。
でも、インターネットの世界は違いました。
そこでは、私が自分のペースで他人と繋がり、関わりを持つことができるから、居心地が良いのです。
インターネットは、私にとっての避難所であり、心の支えになってくれています。
私は今でも、どんなに辛い過去があったとしても、どこかには光と癒しが存在しているはずです。
そして、毒親に育てられた多くの人たちに、このエッセイが少しでも心の解放に繋がることを願っています。