短歌の小窓 藤本楠庭
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)夏立つや夕べをはやき麻蚊帳の去年のにほひにしみて転(ころぶ)臥す 明石海人 毎年使っている、かやなんでしょうね・・・・・。 中に入ると・・・・・。 年々の匂いが籠っている・・・と、おっしゃっておられるのでしょうか・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)北うみの砂山かげの宵々に咲きのさびしき月見草の花 相馬御風 東北地方でしょうか・・・・・。 さびしい咲き方をしている・・・・・。 月見草の花・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)自動車のゆきかひしげみわが庭の月見草の葉にも埃の見ゆる 相馬御風 道路に面したお家なんでしょうか・・・・・。 車の往来が頻繫なので・・・・・。 庭にほこりが舞い込み・・・・・。 月見草の葉にも少し積もっている・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)秋の丘銀杏の幹に身をよせて日の入る国の野を遠く見る 相馬御風 日の入る国とは、日本から中国を呼んだ称、だそうです。 秋の丘・・・・・。 銀杏も色づいているんでしょうね・・・・・。 遠く中国に思いを馳せながら・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)浜芝居科白にまじる波の音簾屋根(すやね)のうへの天の河かな 相馬御風 浜芝居とは、大阪で一般に小芝居をいうもののようです。 科白とは、台詞(せりふ)のことのようです。 浜辺の芝居小屋でしょうか・・・・・。 波の音がしているんですねえ・・・・・。 すだれでできているような屋根・・・・・。 その上には天の川・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)力なくもたるる岩や藻の花の流れよりつつ今日も日くれぬ 相馬御風 もたるる、とは、寄りかかる、ということでしょうか・・・・・。 それとも、持つ、ということでしょうか・・・・・。 よりつつ、も、よじれつつ、でしょうか・・・・・。 それとも、そばに寄りながら、でしょうか・・・・・。 清水が岩を流れ・・・・・。 藻の花が流れに任せながら・・・・・。 日は過ぎてゆく・・・・・。 ということでしょうか・・・・・
拙歌を一首ゆくりなく台風一過の晴れ空は確かに秋の日差しに変わる 藤本楠庭
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)何をかも夢見がほなる御仏の瓔珞ゆりて吹く青あらし 相馬御風 瓔珞(ようらく)とは、お仏壇を美しく装飾するとともに、魔よけの役割も果たすといわれている仏具だそうです。 もともとは古代インドの王族たちが手首や頭部、腰などに身に着ける装身具だったそうですが、のちに仏教文化に取り入れられ、寺院やお仏壇の荘厳具となったのだそうです。 青嵐とは、青葉の茂るころに吹きわたる、やや強い風のことだそうです。 お寺にお参りをされた
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)夕やみのほのけき庭にうきいでてかすかにゆるる月見草の花 相馬御風 夕闇の庭ではあるけれど・・・・・。 浮きたって見える月見草の花・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)茎のゆれしづまりぬれば花のかたちまたくととのひ安けくし見ゆ 相馬御風 草の花が開くとき・・・・・。 共に揺れた茎・・・・・。 その揺れも収まるころ・・・・・。 咲いた花も安らいで見える・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)月見草の花開かんとするやその茎もその葉もともにゆれにけるかも 相馬御風 草々の花が開くとき・・・・・。 茎も葉も揺れるものでしょうか・・・・・。 それとも月見草だけでしょうか・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)やまずふる雨をすべなみ藤波の盛(さか)りのいろもおとろへにけり 伊藤左千夫 術を無み(すべをなみ)とは、どうにもしょうがないので、ということのようです。 長雨が続いているんですねえ・・・・・。 とうとう藤波の花の色も・・・・・。 色あせてきてしまった・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)ふじなみの花の諸房(もろふさ)いやながく地(ち)につくばかりなりにけるかも 伊藤左千夫 藤波の花の房々は・・・・・。 とても長くて・・・・・。 地につきそうであることよ・・・・・。
拙歌を一首夕暮れに窓を開ければ涼やかに聞こえてくるは秋の虫の音 藤本楠庭
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)池水(いけみず)は濁りににごり藤波の影もうつらず雨ふりしきる 伊藤左千夫 藤は池の傍にあるようですね・・・・・。 雨が降りしきっているので・・・・・。 池の水は濁り・・・・・。 藤波の影もうつらない・・・・・。
とぼしい情操なれど(僕なりの鑑賞)長房(ながふさ)の末(すえ)にしなれば藤波の花の紫(むらさき)あせにけるかも 伊藤左千夫 藤波の花が長房なので・・・・・。 末の方の花の紫色が・・・・・。 褪せてしまっている・・・・・。