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【3分で読むエンジニア物語】 第4話 24時間デプロイ戦争

午前1時。オフィスの蛍光灯はほとんどが消え、薄暗い光がデスクの上だけを照らしていた。モニターに映る無数のログが、まるで心電図のように脈打つ。伊藤直樹は、冷えた缶コーヒーを片手に静かにキーボードを叩いていた。

28歳のDevOpsエンジニアとして、彼は数えきれないほどのデプロイを経験してきた。だが、この夜は違った。グローバル展開する自社サービスの大規模アップデート。影響範囲は、世界中の数百万人に及ぶ。失敗は許されない。

「デプロイ開始。」

Slackにそう報告すると、チームメンバーたちが次々と反応を返した。アメリカ、ヨーロッパ、アジア。それぞれのタイムゾーンに散らばる仲間たちが、画面越しに同じ緊張感を共有している。

しかし、その平静は数分で崩れた。

「サービスが応答していない!」
「APIエラーが増加中!」
「ダッシュボードのアラートが真っ赤だ!」

直樹の指が止まる。モニターに目を凝らすと、グラフが急降下していた。全サービスがダウンしている。まるで心臓が止まったかのような静寂が、ヘッドホン越しに広がった。

「冷静に、冷静に…」

心の中で繰り返し呟きながら、直樹はトラブルシューティングを開始した。ログを解析し、サーバーの状態を確認する。しかし、どこを見ても原因が掴めない。CPUは正常、メモリも十分、ネットワークも問題なし。

「…なんでだ?」

焦りが喉の奥を締め付ける。これまでの経験では、ここまで深刻な障害は単独で解決できた。しかし今回は違う。個人のスキルでは手に負えない規模だった。

孤立感が押し寄せる。誰かに助けを求めるべきか。しかし、エンジニアとしてのプライドが、それを躊躇させた。

そのとき、Slackにメッセージが飛び込んできた。

「直樹、一人で抱え込むな。みんなでやろう。」

メッセージの送り主は、チームリーダーの森だった。その言葉に、ふっと肩の力が抜けた。

「分担しよう。俺はインフラ側を確認する。山本はデータベース、鈴木はAPIのログを洗ってくれ。」

直樹は素早く指示を出した。すると、画面上に次々と報告が上がってくる。

「DB接続が不安定。ここが怪しいかも!」
「APIでタイムアウトが発生してる。依存サービスの確認を進める!」

チーム全員が、一つの生き物のように連携して動き始めた。その姿は、まるで緻密なオーケストラのようだった。直樹は自分がその一部であることを強く実感した。

そして、ついに原因が特定された。新しいキャッシュシステムの設定ミスが、全体の負荷を異常に高めていたのだ。すぐに修正とリカバリープロセスが開始された。

「キャッシュの再構成完了!」
「APIの応答が戻った!」
「ダッシュボード、緑色に戻ったぞ!」

直樹は深く息を吐いた。画面上のグラフが再び上昇し、サービスが正常に動き始める。その瞬間、チーム全員のSlackが一斉に歓声で埋め尽くされた。

「やったぞ!」
「みんな、ナイスチームワーク!」
「最高のデプロイ戦争だった!」

直樹は静かにモニターを見つめながら、微笑んだ。彼はこれまで「トラブルは冷静さで乗り越えるもの」と信じていた。しかし、この夜の経験が教えてくれた。

「本当に大切なのは、個人の力ではなく、チームの力なんだ。」

夜明けの光がオフィスを照らし始める頃、直樹は缶コーヒーを飲み干した。少しぬるくなったその味が、妙に心地よかった。

そして彼は、Slackに最後のメッセージを送った。

「最高のチームに感謝。次の戦争も、みんなで乗り越えよう。」

おわり


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