カッコイイってなんだろう ♯10杯目

ケイトがバンドを始めるずっと前の小学5年生だった僕は父の転勤でアメリカに移り住んだ。

MTVが最盛期を迎え、マイケルジャクソンやマドンナ、プリンスを筆頭に、たくさんのスーパースターが世界を熱狂させていた。日本では「さだまさし」と「イルカ」しか聴いてなかった父が、「マイケル」だけでなく、その兄の「ジャーメイン・ジャクソン」のカセットテープを仕事帰りに買ってきた。でもそのおかげで、僕は宝物がたくさんつまった洋楽の扉を開けることになった。

「WPRJ New York Power 95!!」

両手の親指をラジカセの再生と録音ボタンに立てた。深呼吸をして目をつぶる。曲が次に切り替わる瞬間に意識を集中させ、ベストのタイミングで両指に力を入れる。たったそれだけで、コレクションを増やすことができた。

「もっとカセットテープに名曲をつめこみたい」

気がつくといつもラジオカセの横で眠っていた。

日本に帰国してから中学を卒業し、地元の男子高校に入学した。できれば東京の大学に入りたいと考えて塾に入った。

「同じ高校だよね。俺、一つ上の学年の樋口。よろしく」

マッシュルームカットに黒縁眼鏡をかけた、身長180センチくらいの猫背の男子校生が右うしろにひょろりと立っていた。

高校の制服は詰襟の学ランだった。生徒たちの間では、上は長ランや短ラン、下はボンタンやドカンといった変形の制服を着るのがステータスになっていたが、樋口先輩に限っては、標準の制服をきっちりと少しタイトに着ていた。

その日から、僕と樋口先輩は高校から塾まで、自転車で一緒に移動するようになった。途中で昔ながらのナポリタンが絶品で、テーブル席が3つとカウンターがある「ジョイフル」という喫茶店に立ち寄るのがお決まりのコースだった。
ケチャップをふんだんに使った特製ナポリタンと苦味が強いコーヒーを、お世辞にも若いとはいえないお姉様にオーダーする。先輩はメガネを外して熱々のおしぼりを顔にあてながら言った。

「ケイト、短ランなんか着ちゃってダセーな」

先輩いわく、自分の着ている制服はただの標準をではなく、「モッズ」をイメージしたコーディネートなのだそうだ。ただ先輩が言いたかったのは服のセンスのよしあしではなく、長ランやら、短ランを着て粋がっているのが何よりもカッコ悪いということだった。

「どういうのがカッコイイと思う?」

先輩は決まっていつもそう言った。

「カッコつけるとさ、カッコ悪いんだよ。カッコつけなくてカッコイイのが最強じゃね?」

そう言って、教科書の入っていないカバンから「ローリング・ストーンズ」の「レット・イット・ブリード」のカセットテープを取り出した。

「これ、聞いてみ」

塾から帰宅し、いつものように寝静まった自宅の鍵を開け、物音を立てずに2階に上がった。部屋のドアを閉め、先輩からもらったテープとヘッドフォンをラジカセにセットし、再生ボタンを押してから部屋の蛍光灯を消した。

アルバムの一曲目の「ギミー・シェルター」が怪しげなギターと女性のコーラスとともに流れ出す。

部屋の中央に敷かれた布団に大の字で寝転ぶと、窓から星空がよく見えるようになった。

曲が進むに従って、西部の荒野や、昼間の人々、夜の酒場など、映像だけでなく、砂ぼこりや、町の匂いまで感じられる。それは自分の知っているAメロ、Bメロ、サビのような枠にハマるようなものではなく、人々の喜びや怒りが入り混じった日常のワンシーンを僕の部屋に呼び寄せたようだ。

やがてミック・ジャガーの「You can't always get what you want」の歌声とともに睡魔が襲ってきた。

「かっこつけるとかっこ悪いんだよ」

僕にはそう聞こえていた。

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