2回も見に行っちゃった。鬼滅の刃ー無限列車編
幼い我が子が興味を持ったことに、親が興味を持つのはよくある事だ。それも、斬首などバイオレンス要素がある漫画・アニメなら、このまま見せ続けてよいか、注意しフィルターを掛けたほうがよいか、見定める必要がある。
そう、見定めるためにアニメを見たのがきっかけだった。
鬼滅の刃のアニメーションは、素晴らしかった。声優さんのセリフも聞き取りやすくとてもよい。何より続きが気になり、一気に26話まで見てしまった。こんな事は、ジャックバウワーの「24」以来、16年ぶりである。(DVDをデッキに差替え差替え一気に見たなぁー。)
そんなこんなですっかりハマった私は、勿論映画の前売りを買い、子供を引き連れ映画館に行った。アニメーションでストーリーを堪能したかった私は、漫画は見ずに映画を見た。
私は、無限列車のストーリーを知らず、煉獄杏寿郎を知らずに見に行った。ビジュアルから煉獄さんは、熱すぎて苦手だとさえ思っていた。処が映画を見てからすっかり煉獄さんに魅了され、生きる糧に感じる程になった。「煉獄杏寿郎」と文字を打っている今も、正に心が震え涙が溢れてくる。
「老いることも死ぬことも、人間と云う儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ。」
煉獄さんが言ったこの言葉。老いていく自分にはとても刺さった。身体の老いに「まだまだ大丈夫!」と誤魔化す事が出来無くなってきた。弛んで、張りのない身体。そして関節の故障。記憶力も怪しい…。何だか、出来無い事が増えていくような気がして、落ち込む事も屡々だ。
老いに抗えない事を実感しつつあるこの時期に、煉獄さんのこの言葉を聴けたのはとても意味があったと思う。儚い生き物の美しさだと煉獄さんが言ってくれたので、老いを受け入れようと覚悟ができた。勿論、作者・吾峠 呼世晴氏の言葉であることもわかっている。が、煉獄杏寿郎と云うキャラクターが言う事に意味がある気がする。他のキャラクターでは刺さらなかっただろう。
上弦の鬼に絶賛される程の強さがある彼の価値観は、能力的、身体的な強さとは別の所にある。「努力」や「心映え」、「ひたむきな姿勢」や「人の為になりたい」と思う人の精神や姿勢、立ち向かう過程に価値があり、それが崇高なもので、強さだと思っている(と思う)。そして「人間」を美しく尊い存在と、はっきり認識していて振れない。
「俺が此処で死ぬ事は気にするな」
美しく尊い存在の人間が、自分が亡くなった後も、困難を乗り越える事を信じている煉獄さん。信じられている感覚は、勇気が湧いてくるではないか。私は、すっかり煉獄さんに心を燃やされた。
煉獄さんの言葉が聞きたくて、また子供を連れて映画を見に行った。やっぱり泣ける。今度は、子供に内緒で一人で見に行こう。そして、子供の目を気にせず大いに泣きたいと思う。
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