悪法もまた法なり
予想通りとはいえ、実に残念な判断になりました。
https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/050/201000c
鳥取県高野連が輿論に屈するであろう事は想像に難くありませんでしたが、私はこの判断は極めて危険なものであると考えています。というのも、今回の決定は一度高野連が決めたルールを途中で捻じ曲げてしまった事になるからです。
私は、「学校関係者にコロナ感染者が出たら不戦敗」という元々のルール自体に特段の意見を持っていません。このルールが理不尽であるか否かは各人の意見が分かれる所でしょうが、一度このルールを設定して県予選を開始している以上、高野連だけでなく参加各校もルールに従うべきである事は言うまでもありません。それを、たまたま甲子園出場経験のある強豪校がルールの適用対象になったからといって開催期間中にルールそのものを無効化してしまうというのでは、デュー・プロセスも何もあったものではありません。
今回の米子松蔭高校にしろ、以前話題になった中越高校にしろ、強豪校だったからこそ全国区のニュースになり、輿論が湧き起こる事になりました。しかし、これがそういう強豪校ではなく無名の公立校だった場合、果たして政治家まで巻き込んだ騒ぎになっていたかとなると、私には甚だ疑問でなりません。ベタ記事で「コロナ不戦敗」とでも書いてもらえればいい方で、実際には地方紙のスポーツ欄で「不戦敗」という結果だけ記載される事になるでしょう。勿論、全国区で騒がれる事もなければ、国務大臣が高野連に圧力を掛けるなんて事もないでしょう。
当然ながら、コロナ感染者発生時の対応は、全ての参加校に対して平等であるべきです。強豪校であろうが無名校であろうが、「一生に一度の夏」である事に変わりはありません。強豪校だからコロナ感染者が出ても試合が順延され、無名校だとそのまま不戦敗になる事など、決してあってはなりません。そうした不公平が起こらないようにする為に、「学校関係者にコロナ感染者が出たら不戦敗」というルールが作られている訳です。逆に言えば、そうしたルールを捻じ曲げる事はそれ自体が不公平の原因になる訳ですし、ましてや外野の圧力に屈してルールを捻じ曲げるなどというのであれば最早鳥取県高野連の存在意義を自身で否定する事に他なりません。
同時に、今回は鳥取県高野連をバッシングした外野にも問題があります。大会開会前からこのルールを批判していたのであればいざ知らず、たまたま米子松蔭高校が不戦敗に追い込まれたから(或いはそういう報道が全国区で流れてきたから)俄に騒ぎ出したというのであれば、やはりルール破りの不公平を助長する行為に他なりません。そして、高校野球という「学校教育」の現場への介入を認めてしまう事は、大袈裟に言えば教育の自由の侵害にも繋がりかねません。今回は「高校球児が可哀想」という錦の御旗で強引にルールを捻じ曲げさせましたが、同様の介入は高校野球以外でも発生し得る訳で、その際に「教育現場への介入」などと批判するようであれば、それはダブルスタンダード以外の何物でもありません。今回、鳥取県高野連を批判し、或いは圧力を掛けた人達が、果たしてそこまで考えていたのかとなると、やはり私は甚だ疑問に感じています。
今回の騒動を機に、スポーツ大会(或いは学校行事)とコロナとの付き合い方を考え直してみる事は、今後延々と続くであろう「Withコロナ」の時代を生きる上では実に有意義な事だと思います。しかし、そうした再考によるルール変更はあくまでも将来に向かってのみ行うべきであり、一度ルールを制定して大会を開会した以上は、少なくとも閉会までそのルールを貫くべきです。そして、外野の圧力に屈して変えなければならない程度のルールであれば、最初から制定すべきではありません。
今回の騒動が、悪い意味での「成功体験」として根付かない事を、私は祈って已みません。