"ちゃんとしていない人"の話し
無事不動産屋さんとの立ち合いも済みアパートを引き払った。2週間の引きこもり(自主隔離生活)期間の残りの日を父の所で過ごし。未だ私の行動を理解出来ない父との会話の中で思う事の色々。。。
私の父は自動車整備工場経営を畳んで、独り年金暮らしの3月で80歳。兄弟は通信事業経営の2歳年下の弟が一人、嫁と3匹のボーダーコリーのフリスビー犬と暮らしている。私が生まれ育った栃木県宇都宮市に別々の住まいに暮らしている。
父の所へ宮崎へ運ぶ荷物で満載の車で行って、4日間過ごさせて貰った。
着いた夜はホッとしたのと、疲れが出たのと。もうクタクタで…翌日積んできた荷物の確認、積み直しを始めた
ロケットストーブを下ろしてうどんを茹でる事にした
その次の日は、大根と白菜と油揚げの煮物を作った
人は100%死ぬ
父も弟も、表面的には理解を示している格好だけれど。父はずっと難しい顔をしているし、弟も「大丈夫なのか」と心配している。よくよく話すと、その心配の種は何かと言うと、老後のこともちゃんと考えないと…と言うこと。またそれか…
全く私の思考と逆なのだ。
しかし、それが私の嫌いな「普通の」「一般的な」多くの人がそこにしがみついて我慢して今を過ごしている。ソレなのです。
老後とは年齢はいくつの事を指すのだろう。65歳過ぎだろうか。その時「働けなくなった時のお金の心配」
私は、働けなくなるかもも、心配ではあるがそれより好きなとこが出来る気力と体力、健康は、働けなくなった時に、ソレは残っているのか。。。それの方が心配。
今の健康、元気それっていつまであるのか。その時にやりたかったけど出来なかった事が出来るのか。
人は100%死ぬ
ソレはいつなのかわからない。明日かも知れない。5分後かも知れない。私は死を意識していつも生きている。生命は永遠でないから、残された人生を自分を生きたい。
老後の楽しみや蓄えのために、やりたい事を我慢して。出来なかった時の後悔や、家族のために私は我慢したんだなどと1ミリも思いたくない。
ちゃんとしていない人たち
父も弟も、そんなこと言っても常識では通用しないと言う。まったくもう、いつの間に、こんなに常識に固められた世の中が出来上がってしまったのだろう。
私や弟が育った環境は、ちゃんとしていない人たちが身近に沢山いた。
アル中で呑むと暴れてどうしようもない親戚のおじさん。何度もおばさんから、うちにSOSが来て家族全員で助けに行った。押し入れの中におばさんと娘たちが隠れていて、手招きされて一緒に隠れた記憶がある。
おじいちゃんの家に泊まりに行くと、タンクトップからはみ出した背中と両腕に刺青が入った知り合いのお姉さんと彼が、夏休みには毎年花火を買って来てくれて一緒に楽しんだ。
私の両親は仕事が終わってからパチンコを楽しみ、私と弟はその間二人でパチンコ店の中と外を遊び周り、ハンバーガーの自販機でハンバーガーを買うのが楽しみで、パチンコ屋に来るおじさんやおばさんが可愛がってくれた。だから周囲にパチプロなんてざらにいた。
今だったら、ちゃんとしていない人と言われる様な、多種多様な人が案外沢山混在していた。
もしかしたら、うちが特殊なだけだったのかも知れないけれど。
ちゃんとしていないと生きられない世の中の実態
世の中が皆、ちゃんとちゃんとの世界の型にハマって。ちゃんとしてない人は襟を正されるか、枠の外に排除され、間違えた事をした人にやり直すチャンスを与えない社会になった。
常識の中で頑張って、お金の心配が要らない未来を得ることに成功した人達を否定しているわけではない。それは、とても頑張って、泣きたくなるのを堪え大変な努力の日々を送って得たもので、簡単に手に入れられたものではないと思う。
常識からはみ出さない様に我慢をして生きている一部の成功者たちを手本として見習い、それは秩序として存在し、美徳として根付いている。
しかし、皆んなが頑張っても、皆んな自分の望んだ未来や、安心な未来を手に入れられない現状であること。その現状に私は憂いている。頑張って努力しても手に入れられないと言うことが普通に存在している。努力や我慢で手に入れられないものなのだ。
そうであるのにその秩序を守るためなら、人を傷つけ、経済を優先に自然を破壊しさえも平気でするのだ。自然の悲しみは、人類の悲しみでもある。現在の社会の概念で作られた秩序は自然を破壊し、人が人を思いやる心も破壊してしまう自然を破壊したら、人は生きられないのです。当たり前の事なのに、見て見ぬフリをする。とても不思議だ。
そんな秩序が、普遍の様に延々と回り続けていて良いのだろうか。
権力や経済力が力を持ち、傷つけ合い奪い合う利己的な社会ではなく。子供達、その先の人達の未来が、自然と共存し個々が自分の人生を生き、互いを認めフェアな関係で助け合う利他の心がある未来が在ることを私は祈る。
ありがとう
そうは言っても。父も弟も娘も、元の夫も。半ば諦め顔で私の事を応援してくれる。
父は本当に心配なのだろう。私はこんなに楽しみで仕方ないのに。娘は「ママは私より人生を楽しんでそうで良いと思うよ」と言う。娘にも楽しく豊かな心で人生を生きて欲しいよ!元の夫は餞別だと言って応援資金を投資してくれた。弟はmakitaの充電式電動インパクトドライバーをくれた。私が、枝に紐を通す穴を開けるのに欲しいと言っていたからね。
心配も含めた小言も。それら全て、愛だと思う。
しのごの言って(藁)応援してくれて、本当にありがとう!ちゃんとしてなくて、心配ばかりかけてすみません。
私は多くのちゃんとしていない人たちと繋がり、応援者に支えられ、感謝の思いで宮崎での暮らしを楽しみます。
行ってきます!
2020年12月19日(土)
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*颯月
2020年12月〜この搾取とハラスメント、地球環境の破壊を容認する人の経済活動に薪をくべることをやめ、人々が自立して支え合う新しい経済や繋がりを創り出す目的で活動している宮崎県のひょうたん市場作りに参加予定。テントで寝袋のキャンプ暮らしになります。サポートで応援資金を募ってます!