![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104191737/rectangle_large_type_2_0467ac9f6dee6f285575a3ccd7e89d54.png?width=1200)
銀河皇帝のいない八月 ㊲ 【最終回】
12. 月面の対決
「アサトや、重力導線は機能してるぞ。玉座機の足を衛星の方に向けなさい。軟着陸できるように」
まるで心配性の祖父のような、クアンタの声が聞こえた。
「ありがとうございます!」
空里は言われた通りに玉座機をコントロールした。
「スロン……月に足を向けて。このまま降りていくからね。転んだりしないように、うまくバランスを取ってね」
〈青砂〉で、この生物機械を思念で制御する術を習ってはいたが、まだ慣れない空里は「スロン」という呼び名を与えて、いちいち口に出して指示をしていた。
「思ったより落下速度が速いようです。放り出されないよう、しっかり身体を固定しろと玉座機に命じてください」
ネープが言った。
「スロン、私とネープの身体をしっかり固定して」
どうやって?
空里が思った瞬間、玉座からベルトのような触手が伸び、彼女の身体を押さえつけた。
「!」
スロンは、意外な形で命令に反応することもあるので、驚かされる……
見ると、ドロメックも自らの触手を伸ばして、ネープの足を固定している触手にからめていた。
「あんたも落ちないようにしなさいよ」
そうしている間に、月面がみるみる迫って来た。
墜落したスター・サブの位置はもうもうと立ち上る砂煙によってはっきりわかった。爆発こそしていないが、その衝撃は巻き上がった土埃であたりの様子を見にくくしていた。
「地表までの距離を目測します。着地まで約一分」
落下スピードはますます上がっている。
まわりの景色が光と影の紋様から、山や谷といった具体的な姿を取るようになり、玉座機は真空低重力の中で舞い上がる砂煙の中に突入した。一分間は瞬く間に過ぎてゆく。
「姿勢はこのままでいい?」
「大丈夫です。着地十秒前……九、八、七、六……」
視界は真っ白だが、ネープはそうなる前に見た情報をもとに、冷静にカウントダウンを続けた。
「……五、四、三、二、一、着地します!」
ずんという衝撃の後も、空里たちの落下は続いた。
ショックを吸収するために玉座機がその足をいったん縮めてたたんだのだ。やがて玉座まわりはゆっくりと下降を停止し、再び足が伸びて空里たちを高みに押し上げた。
「どうしよう! 何にも見えない!」
「バイザーのダストリムーバーを起動します」
言いながら、ネープが空里の装甲宇宙服の腕に仕込まれたスイッチを操作した。一定の大きさより小さなゴミを透過し、スキャナーが把握した物体だけを表示するシステムによって、あたりの視界がはっきりと開けた。
月面には、墜落したスター・サブの残骸が散らばっている。しかしそれらは壊れ過ぎることなく、構造材などはある程度形を保ったまま分解された状態になっていた。ネープの言った通り、月に向かっての最後の噴射が正確な計算のもとに行われた結果だった。
空里は玉座から立ち上がると、目当てのものを探しながら玉座機を残骸の中へと進めていった。
「十二番フレームと……中央ビーム……スロン、そこのキール補強シャフトを引き抜いて」
命じながら、空里は玉座機にさせたい動きの通りに自分も動いた。そうすることより思念がよりはっきりと、動作をトレースした形で命令を伝えるのだ。
玉座機は自らの大きさに近い金属製のシャフトを残骸から引き抜くと、地面に突き立てた。
「あとは……副次動力伝達ケーブル……あった!」
「アサト、急いでください。ガンボートが近づいて来ました」
見上げると、火星のように赤い光点が見えた。
まだほんの小さな点だが、そこには明らかにこちらを向いた破滅の意志が潜んでいる。
「了解、急ぎます!」
空里は残骸を使って造りたいもののイメージを脳裏にはっきり描きながら、玉座機を駆使して仕事を始めた。
U字型船殻フレームの両端に、弾力のある動力伝達ケーブルを固定する。ケーブルは幅五十メートルほどの金属の骨に渡された弦となった。
「オーケー、あとは……」
弦の真下の地面に、船体の梁となっていた中央ビームを置く。引き抜いたキール補強シャフトを真上に向けてそこにのせ、弦につがえる……
出来た……!
と思ったその時、上空から火線が走り、玉座機の背後に着弾して巨大な砂煙をあげた。
スター・ガンボートのブリッジでは、赤色熱弾砲のトリガーをエンザ=コウ・ラ自らが握っていた。
「見ろ、あれを!」
ビュースクリーンには、月面に固定された巨大な弓の前に立つ玉座機が大映しにされていた。
「あれは、兵器だ。紛れもない兵器をもってこの艦を狙っているのだ。わかるか? これは対決だ。奴と、この私との対決なのだ!」
コルーゴン将軍は興奮したエンザの声に気圧されながらも、頷いて同意を示した。
「将軍、この対決の結末は貴官が証言するのだ。新しい銀河皇帝の誕生を、元老院と……帝国全土に知らしめる大役を務めるのだ!」
コルーゴンは、初めて上官の真意を知って驚愕した。そんな定めが〈法典〉にあったのか……
「もう少し……もう少しだ」
エンザはビュースクリーンにオーバーラップした照準ゲージを凝視しながら、赤色熱弾砲を連射した。だが、流体脳の補助を得ない完全手動の操作では正確さを欠いた。
それでも、玉座機の周辺に着弾する赤色熱弾は空里とネープにとって十分脅威だった。
「もう少し……もう少し上を向いて……」
空里は自ら弓を構える姿勢をとり、玉座機にその動きをトレースさせた。
「ネープ、向きはどう?」
「もう少し右です。敵は自分から真上に来てくれています。そう、そのまま……」
一際近い着弾が、玉座機の巨体を揺らした。
ガンボートの接近に連れて、狙いが正確になってきている。
「アサト、早く!」
ネープは足元に固定したシールドジェネレータを調整して、なんとか主を守ろうとした。
食いしばった歯の間からうめき声を漏らしつつ、空里はさらに弓を引いた。だが、今のまま放っては敵艦を破壊する勢いは得られない……皇冠の「目」がそれを告げていた。
「力が……足りない……」
玉座機に連携する自分の力が、思っていたより弱いのだ。ダメだ……このままでは……
その時、ネープが空里に背後から抱きつき、その手を取った。
「!」
見えない力の抵抗を、二人の手が動かしてゆく。巨大な弓はさらに引き絞られ、長い金属製の矢に大きな力を与えていった。
「今です!」
いつの間にか目をつぶっていた空里は、ネープの声でぱっと手を広げ、玉座機はケーブルを解放してシャフトを上空に放った。
エンザ=コウ・ラは最後の一撃を放つべく、ゆっくりとトリガーをしぼっていった。照準ゲージ内の標的は外しようもなく大きくなっている。玉座機の首の部分には、ささやかなシールドに守られた人影さえ確認できる。
これで終わりだ……一瞬後には皇位は我がもの……勝利への確信と、敵への皮肉をこめた笑みを浮かべて青年はつぶやいた。
「銀河皇帝万歳……」
赤色熱弾が放たれる寸前、ビュースクリーンが暗転し、衝撃とともに何かがブリッジに飛び込んできた。
巨大な金属製のシャフトは、エンザのすぐ頭上をかすめ、ブリッジを貫いて停止した。
機器類はダウンしてすべてのディスプレイが光を失い、非常灯だけがあたりを照らす。爆発も火災も起きなかったため、エンザは一瞬安堵しかけたが、コルーゴン将軍のうつろな顔を見てすぐに深刻な状況に気づいた。
衛星の表面に向かって垂直に降下していた艦の制御が、一切失われたのだ……もはやスター・ガンボートは、ハッチ一枚動かせぬ巨大な棺桶に等しかった。
「閣下……脱出なさいますか?」
不思議と冷静な将軍の無意味な進言に、エンザははじめて素直に応じた。
「そう……だな……そうするとしよう……」
そのまま二人は動かなかった。兵も士官も誰一人動かなかった。
その真下で空里は走った。
実際に走っていたのは玉座機だったが、玉座に着いた空里の意識はその足よりも速く先へ先へと逃げようとしていた。
「もっと速く!」
やがて背後で、制御を失ったスター・ガンボートが墜落し、その衝撃が襲いかかってきた。直撃は免れたが、大地震に等しい振動が足元の地面そのものを崩しにかかった。
何とか踏ん張ろうとしていた生物機械は、ついにバランスを失い前のめりに倒れていった。
「!」
空里の身体は、固定していた触手をすり抜け宙に舞った。
すかさずネープがその後を追って跳躍し、空里を両の腕に包み込んで抱きしめる。二人は舞い上がる砂塵の中に飛び込み、やがて崩れた砂山の上に落下した。低重力で柔らかい砂地に落ちたとはいえ、空里は衝撃で気を失いかけた。
「アサト!」
声に目を開けると、ヘルメットのバイザー越しに青紫色の双眸が自分を見つめていた。
「ネープ……」
「怪我はありませんか? どこか痛いところはありませんか?」
痛いところは身体中……そう言いかけて、空里は言葉を呑んだ。
気のせいだろうか……完全人間の少年はいつになく焦っているように見える。
私が心配?
でもそれは、私が銀河皇帝の後継者だから? 死なれては困る人間だから? 彼が、自分をただの遠藤空里として心配してくれることはないのだろうか……
空里は、危機を乗り越えた安堵感よりも、目の前の少年に対する不思議な切なさを強く感じた。そんな思いから、まったく状況にそぐわない言葉がその口からこぼれた。
「ネープって……笑わないのね……」
「……」
「完全人間は絶対笑わないの?」
「いいえ……私たちにも感情はあります。そういう感情をおぼえれば笑うことも出来ます。ご命令なら……」
空里は身を起こして、ネープの身体をのけるように手をかざした。
「いい……命令じゃなくて、自然に笑った顔が見たいの。いつか……ね」
空里の望みとは裏腹に、完全人間の少年は悲しげな顔で空里を見ていた。心配してくれてるのに、ちょっと意地悪なことを言っちゃったかな……
立ち上がりながら、空里は差し出されたネープの手を素直に取った。
「ごめんなさい。怪我はないみたい。大丈夫よ……」
玉座機は変形して空里が玉座に着けるよう待機していた。その上を漂うドロメックは、空里とネープを見つめながら、彼らの姿を遥か彼方に送り続けている。
向こうでは、墜落したスター・ガンボートの後部艦体が、おさまりかけた砂煙の中で月面に突き立ち、さらにその彼方には……
「あ、地球……」
銀河皇帝の後継者は帰って来た。
旅立ってきた母星に。
旅立ったきた八月に……
13. 八月の終わり
新銀河皇帝、即位成る。
〈即位の儀〉の様子を伝える映像と共にドロメックが送ってきたその事実は、銀河帝国に大きな衝撃を与えた。ことの次第によく通じていた人々の間でさえ、ラ家と帝国軍による即位の阻止が成功するものという見通しが大勢を占めていたのだ。
領外辺境惑星の少女による皇位の継承が現実となった今、その統治がどのようなものになるのか……帝国のありとあらゆる階層において、大きな不安と一抹の期待が、混ざり合わないスープのようにぐつぐつと煮えたぎっていた。
翼を持つ者たち。
尻尾を持つ者たち。
キチン質に身を包んだ者たち。
水に棲まう者たち。
高圧ガスの中に棲まう者たち。
そして、二本足で地面を歩く者たち……
そのすべての者たちの間で、新皇帝アサトの戦いは伝説的な語り草となっていた。
これまで、まったく見えない天の高みで受け継がれて来たと言える銀河皇帝の座を、アサトは初めて帝国市民に見える形で手にしたのだ。
その伝説は、多くの銀河帝国の市民たちに「変化」への予感をもたらすものだった。
誰にも、それがどんなものになるかわからなかったが、銀河が大きな「変化」の時に突入したことだけは明らかだった。
そんな、彼方で起こった巨大な時代のうねりも知らぬまま……
遠藤空里は穏やかに打ち寄せる波が足を洗うにまかせていた。
夏の終わりの陽光は、大きく傾こうとしている。
学校跡の爆心地は、まるで彼女が飛び立った日そのままに、時が進んでいないように見える。だが、スター・コルベットで帰って来た時、ここは日本政府、マスコミ、そのほか有象無象のさまざまな人間たちでいっぱいだったのだ。
ネープの命令で、ジューベーをはじめとするゴンドロウワたちは彼らを半径五キロ圏の外へすべて追い出した。大騒ぎではあったが、誰一人傷つけるなという空里の指示もジューベーは厳守した。
その上でネープはどうやってか日本政府と交渉し、爆心地周辺を〈即位の儀〉のための治外法権区域に設定した。帝国軍がやったことを考えれば、日本列島をよこせと言われても政府は断れなかったろう。
そして執り行われた〈即位の儀〉は、〈青砂〉での儀式にもまして簡潔であっさりしたものだった。
元老ミ=クニ・クアンタの手で皇冠があらためて空里の頭にかぶせられ、それを見届けたネープが即位の宣言をした。
それで終わり。
ドロメックはその周りをゆっくり漂いながら、一部始終を銀河帝国に伝えた。
誰か、見ているのかしら?
ドロメックの送った映像がどれだけの衝撃を帝国中に与えたかなど、空里には知る由もなかった。
銀河帝国という巨大国家の君主の座についたにもかかわらず、本人にはまったく実感が無い……
おまけに、即位してからさっそくの挫折が二つもあった。
一つは、〈白い嵐〉による被害を帝国の力でなんとかしたいという計画の頓挫だった。ネープによれば、帝国のリソースを使って惑星上の文明に関与するためには、まず空里が地球を銀河帝国領であると宣言する必要があったのだ。
それは、空里が銀河帝国のみならず、地球の君主としても君臨することを意味していた。まだほとんど見も知らぬ宇宙帝国の主にはなれても、故郷である星で君主の顔をすることは、空里にはどうにも抵抗がぬぐえなかった。結局、空里はこの地球上では、一介の女子高生でしかなく、その立場で何かを成すことと、銀河皇帝であることは両立し得ないのだった。
銀河皇帝である限り、もはやこの惑星に自分の居場所は無い……
悲しい結論を悟った空里が、今後のことを相談したいと仲間たちをコルベットの下へ集めた時、もう一つの挫折が起きた。
ケイト・ティプトリーが、何故か半壊した部室棟の方から現れやって来ると、ネープがショックスピアーを彼女に突きつけ……
「それ以上、近づくな」
……と、制止したのだ。
「今、あそこから持って来たものを出してもらおうか」
ティプトリーは苦笑しながら、スラックスの背中側に差していた小型のオートマチック拳銃を取り出し、ネープに放ってよこした。
「さすがね、ミスター・ネープ。最高のボディーガードだわ」
事態が飲み込めない空里に、ネープが説明した。
「彼女は刺客だったのです。恐らく自分の国の政府のエージェントでしょう」
空里は映画で、米国にそういう仕事をする組織があることを知っていた。
「C……IA……?」
「ごめんね、隠してて……でも、CNNの方も本当なのよ」
ネープの言葉がうつろに響く。
「はじめから他の仕事に就いていて、命令があったらその通りに動く諜報員です。我々に付いてきたのも、出発直前の混乱に紛れて誰かにそう指示されたのでしょう。そして、帰ってきた時も何者かが接触して、指示とともにその武器を残していった……」
「あたしを……殺すために……?」
ティプトリーは教え子を諭す教師のように言った。
「すべて嘘ならよかったんだけどね……本当にあなたが銀河皇帝になってしまったら……こうしろっていう話だったのよ。わかるでしょ? いきなり世界で一番強い力を持っている人間が現れたら、偉い人たちにはとても都合が悪いわけ」
聞いている間に、ティプトリーの姿は涙ににじんできた。
「言い訳はしないわ。どうするか決めるのはあなた? ミスター・ネープ?」
空里はすがるような目でネープの方を振り返った。
「決めるのはアサトです。私が提案できるオプションは二つ。処刑か追放です。この治外法権区……つまりアサトのそばからの……」
空里はうつむき、泣きじゃくりながらつぶやいた。
「……追放……で……」
ネープはジューベーを呼ぶと、ティプトリーに付き添い爆心地の外へ送るよう命じた。
ジューベーは涙する空里の姿に足を止めるとネープに聞いた。
「この女のせいなのですか?」
「そうだ。だが、アサトが処断した。済んだことだ。丁重に送り出して来い」
「はい……」
「あ、そうだアサト……」
歩き出したティプトリーが振り返って言った。
「ひとつアドバイス……今度、誰かのインタビューに答える時は『そうですね』をやめた方がいいわ。それだけで、賢い銀河皇帝に見えるわよ」
それがつい、数時間前のことだった。
泣きながらこの浜辺に座り込み、何も考えられないままこうしていたが、涙は乾いていた。
そっとしておいてくれているのか、誰も近づいて来ない……だがついに、完全人間の少年が砂を踏み締めてやってくる音が聞こえた。
「アサト……」
顔を上げると、ネープは何かのトレイを持って立っていた。
「召し上がってください。何も食べないと、身体に毒です」
差し出されたトレイには、どこから手に入れたのかコンビニのおにぎりとペットボトルのお茶がのっていた。
空里はしばらくの間、じっとそれを見つめてから手に取って包装をむいた。久しぶりに味わうシャケの塩味を飲みくだしながらネープに聞く。
「どうして、ケイトが殺し屋だってわかったの?」
「人間の動きは、その意志に左右されます。あの建物からやって来た彼女の歩き方には明確に危険な意志があり、それはアサトの方を向いていました。そこからすべての結論が導かれたのです」
「完全人間には、なんでもお見通しなのね」
「そんなことはありません……」
意外にも、ネープの声からいつもの自信に満ちた冷たさが消え、低く弱い呟きになった。
「私にもわからないことがあります。アサトの心が……」
言い淀むネープに驚いた空里は、少年の瞳を真っ直ぐ見返した。
「……アサトの心が深く傷ついたことはわかります。しかし、それをどうしたら治すことが出来るかわからない……」
少年は目をそらすと、遥かな水平線の方を見つめて言葉を継いだ。
「ネープは自分の望みを口にすることは滅多にありません。でも、いま私ははっきり望んでいることを感じます。あなたの心の傷を治したい。そのために……あなたの心に触れたいのです……」
空里はその言葉に、心臓が見えない手に包まれたような不思議な感覚を覚えた。
「あの約束……覚えてる?」
「一瞬たりとも、忘れたことはありません」
空里は立ち上がって砂を払い落とした。
「それなら、大丈夫。ずっとそばにいてくれれば、きっと心に触れる時も来るわ。私も、あなたの心がどこにあるのか探したい。だから……」
ネープも立ち上がった。
あら、彼、いつの間にか背が伸びたみたい。あまり自分と目線の高さが変わらないような……
「おーい……」
クアンタとシェンガがこちらへ歩いて来た。
ネープを先にやって様子を見ていたのかしら……とにかく、気にかけてくれているとしたら素直にうれしい……
「大丈夫かね? 皇帝陛下」
クアンタが聞いた。
「ええ、すみません。相談したいって言ってたのに、放っておいてしまって」
「こっちにも相談があるらしいぜ」
シェンガが、クアンタを指差して言った。
「うむ……そうなのだ。あんたは文句なく銀河皇帝になったわけだが、その立場を確たるものとするためには、ひとつ足りないものがある。公家の存在だ」
「公家……家?」
「残念だが、あんたにはもう家族がない。だが〈法典〉は銀河皇帝は公家とともにあることを定めているのだ。そして、自分でそれを興す権利も認めている。まあ、いきなり家族を作るというのも無理な話なのはわかっているが……出来るだけ早く解決した方がいい問題だ」
顎に手をあてて元老の言葉を聞いていた空里は、出し抜けに笑い出した。
浜辺を走り出し、砂に手をついて勢いよく横転して見せる。残された者たちは呆気に取られて顔を見合わせた。
「〈法典〉っておかしなことばかり書いてあるのね!」
砂浜にどっと身を投げ、空里は笑い続けた。
どこかでひぐらしが鳴いている。
虚無と化した浜辺のどこかで。
どうやって生き延びたのか……いや、どこかから流れてきたのかもしれない。
その寂しげな声は、空里に時の流れを思い出させた。
夏も終わる。
この夏の間に、どれだけのことが起こったことか……
とにかく、いま銀河系宇宙のすべては空里の手中にある。その強大な支配の力をどう使うか、彼女にはまだ分からなかった。
だが、そのうち思いつくだろう。
空里は目をつぶった。
すると、何故かまぶたの向こうに星百合の姿が見えた。時間と空間に深く根付いた謎の存在……これがなければ、銀河皇帝もネープもやって来ることはなく、空里の運命が大きく変わることもなかったはずだ。
そして〈法典〉……
なぜ、銀河帝国の人々はかたくなにその定めに従うのか……そして、なぜレディ・ユリイラだけが平気でその定めを破ろうとするのか……
そもそも、一体誰がそれを記したのか……
その疑問の先に、触れてはならない恐ろしい事実が隠れてる気がする……きっとそこへの探索が、銀河皇帝としての自分の大きな仕事になる……気がする……
怖い……だが、ネープの助けがあればなんとかなる。
自分の心に触れたいと言ってくれた、完全人間の少年。いつか彼の心にも近づけるに違いない。
この夏の。
この八月の空の下で、それは一層強く感じられるのだ。
遠藤空里はやめることにした。
怖れに立ち止まることを。
立ち上がった空里の視界の隅で、完全人間とミン・ガンと帝国元老が問題について話し合っている。
空里は決めた。
「わかった。解決しましょう。家族が必要だというなら、方法はあります。もう決めました。ネープ……」
振り向いた空里に、少年は一歩近づいた。
「私たち、結婚しましょう」
銀河皇帝のいない八月
完