見出し画像

16歳のメイが虹の橋へ。私が猫を看取って感じたこと

2024年12月3日(火)の昼前。
11年弱、飼っていた猫のメイが死にました。

16歳でした。

直接的な死因は「腎不全」と「肝不全」。

メイの看取りは想像以上にキツく、私と夫は途中頭が痛くなるほど何度も大泣きしました。

看取りの最中「自分の体がバラバラになってしまうのでは?」と思うくらい、心が張り裂けそうで辛かったです。

でも、私はペットロスになりませんでした。

その理由を分析してみます。


メイとの出会い


うちに来たばかりのメイ

メイとは、私が独身時代にボランティアさんを介して出会いました。

メイは「ラパーマ」という珍しい品種の猫で、ブリーダーさんがうつ病になり飼育困難になったため、ボランティアさんが保護したそうです。

出会った当時のメイの年齢は、もうすでに5歳を過ぎていました。

しかも、メイはうちに来たとき、すでに猫風邪を患っていました。

そのため、私はメイを動物病院に連れて行き、適宜治療を行っていました。

年に1回の健康診断と3種混合ワクチンを受け、鼻以外は健康体そのものの猫でした。

しかし…

メイがうちに来てから約6年後。

メイは「膵炎」と「肝臓病」を患ってしまいました。

肝臓に関しては、もう二度と治ることはありませんでした。

メイは、2019年から2024年の約5年間、闘病生活を送ることになってしまったのです。

5年間の闘病生活

メイは、肝臓の数値が慢性的に高い状態、いわるゆる「慢性肝炎」を患ってしまいました。

そのため、死ぬまで最低でも週1~2回の点滴は欠かせず、多い時だと週5日通院することもありました。

毎週の通院が大変なのはもちろんですが、何より辛かったは「強制給餌」でした。

メイは、食欲不振が続き、ある日を境に獣医師から強制給餌をするように指示されました。

当時、私は「強制給餌」という言葉も存在も知りませんでした。

最初は困惑しましたが、やらないとメイが死んでしまうので、毎日試行錯誤しながらシリンジや指を使って、メイに強制給餌をし続けました。

強制給餌の様子
給餌されたフードを飲み込むメイ

努力の甲斐あって、メイは回復しました。

しかし、メイの肝臓は完治することはありません。
メイは、慢性的に食が細く、死ぬまで強制給餌をする必要がありました。

強制給餌を始めてから死ぬまでの約2年8か月。

ほぼ毎日、強制給餌を行ってきました。

その甲斐あって、私は強制給餌のプロ(自称)にまでなることができました!笑

介護がだんだん辛くなり…

メイは私が独身時代から飼っていた猫だったので、夫と一緒に住むようになった後もメイに関することほぼすべてを私が担っていました。
(たまにですが、夫が代わりにメイを病院へ連れて行ってくれることもありました)

しかし、強制給餌に関しては、夫もやろうと努力してくれましたが、覚悟が足りなかったのか、なかなかうまく行うことができませんでした。

なので、「私が最期まで1人で責任を持ってメイの世話をする!」と覚悟をしていました。

しかし、私は途中で息切れしてしまいました。

かさむ医療費、漫然と続ける強制給餌と投薬。治ることがないメイの肝臓。

必ず終わりは来るはずなのに、これが延々と続くような気がして、先が見えなくなっていました。

私はいつも自転車でメイを動物病院へ連れて行っていたのですが、途中、「こっちに車が突っ込んできてくれないかな…」と思ってしまったことが幾度となくありました。

幸い、車が突っ込んでくることはありませんでしたが…。

2年8か月続いた強制給餌

最初は、1日2回程度で済んだ強制給餌。

しかし、メイは亡くなる数か月前くらいから、ほぼ自力で食べなくなってしまいました。そのため、1日5回強制給餌を行う必要がありました。(数時間おきレベル)

大変でしたが、強制給餌さえちゃんとできていれば、メイの体調は比較的良好でした。

動物病院に点滴を受けに行くたびに、メイの体重を測りました。

私にとってメイの体重測定は「飼い主としてちゃんと強制給餌ができているか」の成績発表のような気がしていました。

メイの体重が前回より減っていたら「強制給餌する量が足りてないからだ。もっとちゃんとやらなきゃ…」と自分を奮い立たせていました。

しかし、私はある日を境にメイを動物病院へ連れて行こうとすると、なぜか体が動かなくなり、涙が溢れてしまうようになったのです。

メイが死ぬ2週間くらい前からだったと思います。

夫はそんな私を見て、仕事(リモートワーク)を一旦抜けて、メイを病院へ連れて行ってくれました。

余命宣告

2024年11月29日 午前4時。
メイは、何度もトイレに行き、少量の便がお尻に付いてしまっていました。

そして、今までにない嘔吐の仕方をしました。

「いつもと様子がおかしいな…」

そう思ったので、午前中に動物病院へ連れて行かねばならなかったのですが、私は体を動かすことができませんでした。

もちろん、代わりに夫が仕事を抜けて、午前中にメイを動物病院へ連れて行ってくれました。

夫の話によると、獣医師はメイを見た瞬間、顔色が一瞬にして変わったといいました。

獣医師は、夫の了承を得ることなく「ステロイド打ちますね」と言って急いでメイの肩?胸?辺りに注射を打ったそうです。

夫は、ただならぬ雰囲気を察知したそうです。

夫は、獣医師から血液検査の結果を見せられ、「もう今日、明日くらいかもしれない」とメイの余命宣告を受けたそうです。

その時に獣医師から色々説明を受けたそうですが、頭がパニック状態だったため、帰宅後、私に説明する際、断片的にしか思い出せないようでした。

夫から聞いた内容をまとめると…。

  • 今までは、点滴で肝臓の数値の上昇を抑えてきた。
    先生は点滴で「継ぎ接ぎしていた」と表現したとのこと

  • しかし、点滴で継ぎ接ぎしてキープしていたのが、今回何らかの理由で決壊してしまった。その理由は分からない。

  • リンと電解質のバランスが崩れたら、もう助からない(ここは記憶が不明瞭)

とのことでした。

私は、月に1回の血液検査でメイがいつもどのくらいの数値か把握していました。

夫が持って帰って来た最後の「血液検査の結果」に目を通すと…。

腎臓や肝臓の数値が今まで見たことがないくらい上昇しており、今まで一度も上がったことがない数値も高値を記録していました。

「あぁ、メイはもうすぐ死ぬんだ…」

私はそう悟りました。

メイの死後

亡くなる前日のメイ

メイの看取りは、かなり辛かったです。

今はまだメイの看取りについて書くのはしんどいので、気が向いたら今後書くかもしれません。

話をすっ飛ばしますが、メイが死ぬ瞬間、私は泣きませんでした。

なぜなら「死ぬことは肉体からの解放」だと思ったからです。

メイはずっと肝臓病と鼻炎を患い、苦しい思いをしてきました。

なので、「メイはやっと苦しみから解放されるんだ」と思ったら、良かったとすら思ってしまいました。

さらに私は、メイが死んだ直後メイを失った悲しみよりも「飼い主としての責任をやり切った」という達成感の方が上回ってしまったのです。

こんな感情が湧くのは、自分でも想像していませんでした。

なぜなら、私はメイがまだ普通に元気に生きている時「ペットロスになるんじゃないか?」「燃え尽き症候群になって、うつ状態になるのでは?」と思っていたからです。

でも、実際はそんなことはありませんでした。

自分でも「私は冷たい人間なのでは?」と思いました。

そう思った理由は、一緒に住んでいる夫がメイの死後、しばらく泣き続け、悲しみに暮れていたからです。

反対に私は、メイの死後、ほとんど泣きませんでした。

夫は、そんな私を見て困惑したそうです。(きっと「なんだコイツ…」と思ったと思います)

そんなメイと共に歩んできた日々は、終わりを迎えました。

たくさん受けさせた医療行為

私は、メイの意思関係なしに、メイに医療行為をたくさん受けさせてきました。

この記事では取り上げていませんが、メイは「悪性の鼻腔内腫瘍」も患い、大学病院で放射線治療を4回受けさせました。

治療の甲斐あって、鼻腔内腫瘍は寛解しました。

猫に医療をどこまで受けさせるのか、それは人ぞれぞれ価値観が異なります。

メイのためを思って医療を受けさせてきましたが、後で振り返ってみると、内容によっては「受けさせなくてよかったかな」と思うものもありました。(放射線治療に関しては、受けさせて良かったと思っています)

でも、それはメイの死後に気づいたこと。その時はそれが最善だと思っていました。

私がペットロスにならなかった理由

ここまで長々とメイの闘病生活について書いてきましたが、本題の「なぜ私がペットロスにならなかったのか」の私なりの見解を簡潔に述べたいと思います。

【結論】
後悔をほとんどしてないから。

相対的に評価したら、私は飼い主として不備がたくさんあったと思います。

でも、私は自分の中でこれ以上ないくらい、全力でメイと向き合い、介護し、尽くしてきたつもりです。(いや尽くしてきた)

猫の病気について、素人なりに勉強しました。

しかし、夫は私と違って、メイの死後とても辛そうです。ペットロスまではいかなくても、メイを思い泣く日々が続いているようです。(たぶん、これが普通)

ちなみに夫がメイと暮らした期間は、4年弱ほどでした。私と比べたら、メイと過ごした時間はかなり短いです。それでもなぜ、夫はこんなに辛そうなのか?

夫は、メイに対して「後悔の連続」なんだそうです。

理由は「どうせ妻がメイの世話をするだろうと思って、全力でメイに向き合わなかった」からなんだそう。

でも、私はそれは仕方のないことだと思っています。なぜなら、メイは私が独身時代から飼っていた猫。夫の猫ではないからです。

それに私自身、夫にメイの介護をして欲しいと思っていなかったので、別になんとも思っていません。

まとめると、ペットロスになるか否かは「後悔があるかないか」の違いなのかなと、私自身結論づけました。

これからは自分のために生きる

メイの猫生は、もう終わりました。

今度は自分のためだけの人生に突入します。
メイが死んだから私の人生は終わりではない。

きっと今後も私はメイのことを思い出し、たまにしんみりしてしまうことがあるかと思います。

よくペットが死ぬと「虹の橋を渡った」という表現をしますよね。この表現は「虹の橋」という詩からきているようです。

詩の内容は、天国の少し手前にある虹の橋のたもとで、亡くなったペットたちが飼い主の再会を待っているというものです。

ペットたちは元気を取り戻し、草原で仲間たちと遊んだり、おいしいごはんや新鮮な水に恵まれたりして、幸せに暮らしています。そして、飼い主が訪れたときに一緒に虹の橋を渡り、天国へ向かいます。

AI による概要

この内容を聞くと、死ぬのが楽しみになってしまいます。(まだしばらく死ぬつもりはありません)

いつかまた、メイに再会できるのを楽しみにしながら、生きていきたいと思います。



いいなと思ったら応援しよう!