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反対の立場を表明する、ということについて考える

中沢新一さんの『アースダイバー 東京の聖地』を読んだ。
この本は、築地市場の移転と新国立競技場の建設に際して書かれ、2017年に出版された。

 新国立競技場の建設をめぐる一連の出来事は、明治神宮のような「聖地の森」に建てられるべき建築はどのようなものであるべきか、という本質的な問いを、日本人に突きつけることになった。ここには神道という宗教の表現回路をつうじてあらわされた、日本的な存在論、現象論、表現論の本質が関わっており、ヨーロッパで高度に発達してきた建築的思考によってはとらえきれない、特異な問題郡が背後に隠されている。現代日本の多くの建築家は、その問題郡が提起していることの意味に気づいていない。そのために議論はいつもあらぬ方向に流れていってしまう。

中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』P.154

今、私が考えようとしているのは、神宮球場、秩父宮ラグビー場の建て替えや3棟の高層ビル建設を含む神宮外苑再開発についてだが、引用した中沢さんの言葉はここでも当てはまるように思う。
そして確かに、「議論があらぬ方向に流れていって」いると感じる。

まず始めに、私の結論を書こうと思う。
誤解を恐れずに言う、ではない。誤解を恐れるから先に結論を書く。恐れさせるような雰囲気が、神宮外苑再開発の界隈には漂っている。

私がこの投稿で言いたいこと、それは、反対意見にも意義がある、ということだ。

過激な反対行動は、嫌悪感を抱かれて心の扉を閉ざされ、逆効果だろうなと思う。
でも、誰かが反対の声を上げ、ブレーキをかけ、立ち止まって検討し直す時間を持つということは、いつだって必要なことなのではないか。

神宮外苑再開発は、昨年9月7日にユネスコからヘリテージアラート(文化的資産の保全と継承を求める国際声明)が出されたことを受けて、樹木伐採が1年間延期された。
「ユネスコは再開発反対側の意見しか聞いておらず充分な説明がなされていない」という声もあったが、都知事の要請でともかくも延期された。
事業者側や再開発を待ち望んでいる人たちにとっては迷惑な話だったのかもしれないが、これだけ規模の大きな事業であり、元に戻すことはできないものであるから、充分すぎるほど検討していい。
それが、反対意見には意義がある、と言いたい理由である。

坂本龍一さんが、外苑の樹木伐採について逸早く声を上げ、亡くなる直前、都知事らに計画の見直しを求める手紙を送ったことはよく知られている。

率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。
これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。
(中略)
いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。

坂本龍一さんの手紙から抜粋

今年10月末、延期されていた樹木伐採が始まり、市民が伐採反対の声を上げている、という記事や投稿を目にすることが多くなった。
伐採反対の声への事業者からの回答は、伐採するのは倒木の恐れのある古い木であり、新たに植林する本数を考慮すれば全体の樹木の本数は大幅に増える、というものだ。

坂本さんから都知事への手紙に「開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層に過ぎません」とあることに対して、野球場やラグビー場の老朽化により安全の問題があるということ、またバリアフリーにより恩恵を受ける人たちもいるし、新しい施設を楽しみにしている人たちもいる、という指摘もある。

ただ、私たちは誰だって、反対意見があるときには、行政に向けて手紙を出してもいいはずだ。

坂本さんは、手紙の中で主として樹木を守ることを訴えているが、ただ木だけを見ていたのではなくて、冒頭に引用した中沢新一さんの文章と同じ視点に立っているのだと思う。

 あらゆるものがひとたび資本主義に呑み込まれると、ひどい記憶喪失に襲われるようになる。そのあげくに資本主義の大海の中で、無意味な漂流をはじめてしまう。自分の本質を忘れることを、哲学では疎外というけれども、現代のスポーツやエンターテイメントくらい、自分の本質から疎外されているものは少ない。
 明治神宮外苑は、人々にそのことを思い出させるために考案された施設である、と言ってもいい。スポーツとエンターテイメントのための公園空間としてつくられている外苑は、連絡通路をつうじて内苑の緑の森と、ひとつながりになっている。御霊を宿した内苑と一体であることによって、外苑はけっして資本主義の海に、漂流ができないような仕組みになっている。森の錘(おもり)が付けられているからである。

中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』P.194

再開発の事業者である三井不動産は、ユネスコのヘリテージアラートを受けて、昨年9月、神宮外苑地区の再開発事業について樹木の伐採本数を減らし、新たに植える木の本数を増やす見直し案を公表した。
昨年の3月末に亡くなった坂本さんは、この見直し案を知らない。

にもかかわらず、坂本さんが再開発についてデマを拡散したと言う人たちがいる。
それは正しい表現ではないのではないか。

また、桑田佳祐さんがこの再開発を巡る問題を受け止めて作った曲「Relay~杜の詩」への批判の声もある。
「アスファルトジャングルに変わっちゃうの?」という歌詞は印象操作だ、と。再開発後に緑地は増え、アスファルトジャングルになどならない、と。
でも、これは歌であって、ニュースではない。
アスファルトジャングルは比喩である。

2024年7月に、事業者である伊藤忠商事は「神宮外苑再開発について」というリリースを公開した。
リリースには、昨年10月に活動家が行った同社施設への落書きの被害について、またこの6月に株主総会で神宮外苑再開発について丁寧に説明したにもかかわらず、質疑応答に入ると環境活動家が長々と持論を展開して進行を邪魔したとも書かれており、再開発の意義と樹木の保全について説明されている。

このリリースに書かれていることで、違和感を覚えることがひとつある。

当社が単独で建替をする場合は現法令の様々な規制のため現本社ビルよりも低いビルしか建設できないところを、一体開発に参画することでより大きなビルを建設することが可能となり、東京本社ビル敷地の資産価値が増加します。

〈未来の都市が空を塞いで良いの?〉
「Relay~杜の詩」で桑田さんはこう唄っている。
伊藤忠商事のプレスリリースに書かれているように、みんなで建てれば規制に引っ掛からずに高層ビルが建てられる、と言うなら、桑田さんの歌詞にある未来は現実になりうるだろう。

遠くない過去に、反対意見を表明することができない時代が確かにあった。
私は、国民が恐れずに反対意見を表明できる日本であり続けてほしいと思う。


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