反対の立場を表明する、ということについて考える
中沢新一さんの『アースダイバー 東京の聖地』を読んだ。
この本は、築地市場の移転と新国立競技場の建設に際して書かれ、2017年に出版された。
今、私が考えようとしているのは、神宮球場、秩父宮ラグビー場の建て替えや3棟の高層ビル建設を含む神宮外苑再開発についてだが、引用した中沢さんの言葉はここでも当てはまるように思う。
そして確かに、「議論があらぬ方向に流れていって」いると感じる。
まず始めに、私の結論を書こうと思う。
誤解を恐れずに言う、ではない。誤解を恐れるから先に結論を書く。恐れさせるような雰囲気が、神宮外苑再開発の界隈には漂っている。
私がこの投稿で言いたいこと、それは、反対意見にも意義がある、ということだ。
過激な反対行動は、嫌悪感を抱かれて心の扉を閉ざされ、逆効果だろうなと思う。
でも、誰かが反対の声を上げ、ブレーキをかけ、立ち止まって検討し直す時間を持つということは、いつだって必要なことなのではないか。
神宮外苑再開発は、昨年9月7日にユネスコからヘリテージアラート(文化的資産の保全と継承を求める国際声明)が出されたことを受けて、樹木伐採が1年間延期された。
「ユネスコは再開発反対側の意見しか聞いておらず充分な説明がなされていない」という声もあったが、都知事の要請でともかくも延期された。
事業者側や再開発を待ち望んでいる人たちにとっては迷惑な話だったのかもしれないが、これだけ規模の大きな事業であり、元に戻すことはできないものであるから、充分すぎるほど検討していい。
それが、反対意見には意義がある、と言いたい理由である。
坂本龍一さんが、外苑の樹木伐採について逸早く声を上げ、亡くなる直前、都知事らに計画の見直しを求める手紙を送ったことはよく知られている。
今年10月末、延期されていた樹木伐採が始まり、市民が伐採反対の声を上げている、という記事や投稿を目にすることが多くなった。
伐採反対の声への事業者からの回答は、伐採するのは倒木の恐れのある古い木であり、新たに植林する本数を考慮すれば全体の樹木の本数は大幅に増える、というものだ。
坂本さんから都知事への手紙に「開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層に過ぎません」とあることに対して、野球場やラグビー場の老朽化により安全の問題があるということ、またバリアフリーにより恩恵を受ける人たちもいるし、新しい施設を楽しみにしている人たちもいる、という指摘もある。
ただ、私たちは誰だって、反対意見があるときには、行政に向けて手紙を出してもいいはずだ。
坂本さんは、手紙の中で主として樹木を守ることを訴えているが、ただ木だけを見ていたのではなくて、冒頭に引用した中沢新一さんの文章と同じ視点に立っているのだと思う。
再開発の事業者である三井不動産は、ユネスコのヘリテージアラートを受けて、昨年9月、神宮外苑地区の再開発事業について樹木の伐採本数を減らし、新たに植える木の本数を増やす見直し案を公表した。
昨年の3月末に亡くなった坂本さんは、この見直し案を知らない。
にもかかわらず、坂本さんが再開発についてデマを拡散したと言う人たちがいる。
それは正しい表現ではないのではないか。
また、桑田佳祐さんがこの再開発を巡る問題を受け止めて作った曲「Relay~杜の詩」への批判の声もある。
「アスファルトジャングルに変わっちゃうの?」という歌詞は印象操作だ、と。再開発後に緑地は増え、アスファルトジャングルになどならない、と。
でも、これは歌であって、ニュースではない。
アスファルトジャングルは比喩である。
2024年7月に、事業者である伊藤忠商事は「神宮外苑再開発について」というリリースを公開した。
リリースには、昨年10月に活動家が行った同社施設への落書きの被害について、またこの6月に株主総会で神宮外苑再開発について丁寧に説明したにもかかわらず、質疑応答に入ると環境活動家が長々と持論を展開して進行を邪魔したとも書かれており、再開発の意義と樹木の保全について説明されている。
このリリースに書かれていることで、違和感を覚えることがひとつある。
〈未来の都市が空を塞いで良いの?〉
「Relay~杜の詩」で桑田さんはこう唄っている。
伊藤忠商事のプレスリリースに書かれているように、みんなで建てれば規制に引っ掛からずに高層ビルが建てられる、と言うなら、桑田さんの歌詞にある未来は現実になりうるだろう。
遠くない過去に、反対意見を表明することができない時代が確かにあった。
私は、国民が恐れずに反対意見を表明できる日本であり続けてほしいと思う。