#人にやさしく
娘は言った。
「クラスにいつもひとりでいる子がいる。」
ー
10代の私は、いじめられたり、いじめたりして、いつもイライラしながら生きていた。友達があまりいなくて、一人でいることも多く、孤独と寂しさと怒りの中で、誰も自分を理解してくれないと思っていた。誰かにわかってもらいたいという気持ちと、誰にもわかってほしくないという気持ちとが混ざり合い、自分でもどうしたらいいのかわからない状態だった。
学生時代の私の不安定さは、固く絡み合った糸のように、どうしようもなく、あまりにこんがらがっていて、誰もそこに触れたがらなかった。それがさらに、孤独と寂しさと怒りとなり、自分でも手が付けられなかった。
今から思うと、幼少期に自分の感情を素直に出せば、よかったのかもしれない。でも、私は大人を信用せず、我慢を選んでしまった。ギリギリまで我慢して、我慢して、我慢して、私は「いい子」を必死に演じた。早く終わってほしいと願いながら。
20代の私は、無気力の中で、いつも依存できるモノを探していた。そして、偽りのモノで孤独を掻き消して、寂しさを感じずに生きる手段を覚えた。依存すればするほど、寂しいという感覚は麻痺してゆく。
もう大人だから「いい子」を演じる必要もなかった。一人暮らしをして、好きなように生きて、やりたいようにやって、何かに依存する日々。
居心地がよくて、寂しくもなければ、孤独も感じない。だけど、ふと我に返ってしまう瞬間があった。依存期間が終わり時間を持て余すと、孤独と寂しさと不安が、一気に押し寄せた。でも、依存できるモノは簡単に見つかった。これなら生きていける。今日、寂しくなければ、それでいい。いつか来る終わりを、朦朧としながら待っていた。
30代の私は、ある日、子どもを授かった。この世に一人の女の子を生み出し、母になった。母になっても、孤独だった。誰かと暮らす毎日は、孤独と寂しさをより一層、私に実感させた。
薄暗いキッチンで、音を立てずに用意する食事。睡眠不足と身体の痛みで疲れ果てて、深夜に一人で流す涙。誰にも助けを頼めない自分。我慢、我慢、我慢。10代の私が蘇る。
子どもの泣き声と、泣き止んだ後の静まり返った時間。そんな毎日が、この世に私と娘しかいないんじゃないかという恐怖をもたらし、今まで生きてきた中で感じたことのない不安に追い詰められた。
でも、産んだからには育てないといけない。産むと決めたのも私だし、産んだのも私だし、育てると決めたのも私。そして、この子には私しかいなかった。私が、孤独を感じようが、寂しかろうが、娘には関係のないこと。何もできない娘にとって、頼れるのは私だけだ。私は、娘をこの世に存在させるために、ここまで生きてきた。
今、私は41歳になった。まだ時々、孤独を感じることがある。娘が学校に行っている間や、娘がパパのところに泊まりに行っている日は、静かさの中で孤独や寂しさを感じる。だけど、昔のような居ても経ってもいられないような気持ちになることはない。何かに依存することもない。私は今、優しさの中で生きている。
私は、母になって一つ、わかったことがある。
私の周りには、誰も優しい人なんていないと思っていたけれど、昔から私の周りにはたくさんの優しい人がいた。でも私は、それに気づけなかった。なぜなら、人の優しさを感じるには、自分も優しい人でないといけないから。自分自身が、優しさという感情を理解できないと、人に優しくできない。
私は、ずっと孤独と寂しさと怒りを抱えていたから、人に優しくなんてしてこなかった。もう、これ以上傷つきたくないから、人の優しさに触れたくない。もう、これ以上裏切られたくないから、人に優しくなんてしない。そういう考えだったから私は、長い間、人に優しくしてこなかった。だから、人の優しさを感じることもできなかった。
ー
娘は言った。
「クラスにいつもひとりでいる子がいる。」
どうして一人でいるんだろうと思って、声をかけたよ。それで、一緒にいることにしたの。私が、どうして?と聞くと、だって、きっとあの子、一人で寂しいから。
娘はとても優しい。
娘は生まれたときから優しかった。
娘は、私と同じように、もしくはそれ以上に、孤独と寂しさ、そして怒りを感じて生きているかもしれない。でも、娘はいつだって誰にでも優しいのだ。人に優しくするという使命を持って生まれてきたかのように、幼い時から、人の孤独や寂しさに敏感で、人の心を読んで寄り添う。
私が「どうして、さっちゃんはそんなに優しいの?」と聞くと、娘は「だって、ママから生まれてきたんだもん。」と言った。
※このnoteは、あなたが考えるやさしさとは?Panasonic×noteが、開催している「#やさしさにふれて」の投稿コンテスト応募作品として、書いたものです。
お気持ちありがとうございます。娘と元気に楽しく生きていくために使わせていただきます。