アシスタント時代に、やっておけばよかったこと
最近立て続けに、自分が文章を書いているときの頭の中の動きを、公開することが続いた。
先日はラジオトークさんのオフ会で、私のエッセイやコラムの書き方(フレームワーク)を公開し、
昨夜は宣伝会議さんで、私が「文章の書き方を教える」ことをどう捉えているかについて、話をさせてもらった。
私が、こんなふうに考えて文章を書いている、書くことをこう捉えていると、図解し見える化して伝えると、驚かれることも多い。
文章を書くことについては、私は、相当しつこくいろんなことを考えているからかもしれない。
この一点においては、ストーカー並みに、粘着質だと思う。
そうなったのは、20代の頃に、手痛い経験をしたからだ。
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学校を卒業した後、私はテレビの制作会社に入社した。
研修期間を終えてすぐに私たちはADとして各番組に配属された。
そこで先輩に言われた言葉が私に大きな影響を与える。
いいかお前達。
AD は「A=アシスタント D=ディレクター」の略じゃない。ADは「A=あんたは D=奴隷」の略だ。
ここは軍隊だ。お前たちは兵隊だ。
ブラック企業なんて言葉も、やりがい搾取という言葉もない時代だった。
今より100倍くらい素直だった私は、その言葉を真に受けて一生懸命働いた。
ディレクターが犬を撮りたいと言ったら
それが夜中の2時であっても犬を探し
ディレクターが蛇を撮りたいと言ったら
それが朝方の5時であっても蛇を探した。
ディレクターが欲しいと思うものを、もれなくそつなく準備すること。
それが私の仕事だと思っていた。
わたしのバッグの中には、ディレクターが吸っているタバコが常備されていたし、ディレクターがお気に入りのキャバ嬢の連絡先も把握していた。
ディレクターが黒と言ったら黒、白と言ったら白。
ディレクターが撮影をしやすいように段取りをすることにもどんどん慣れてきた。
当時仕事を一緒にしたディレクターには、使えるAD だなどと褒められて、嬉しくなった。
けれどもあるとき、初めて仕事を一緒にしたディレクターにこう言われた時、私は困ってしまうのです。
「ねえ、この編集とさっきの編集どっちがいいと思う?」
隣に座ってボーっと編集作業を見てはいたけれど、どちらの編集がいいかなど、考えてもいなかったので、私はテンパってしまった。
自分の意見など、いままで求められたことがなかったし、アシスタントはディレクターに言われたとおりのことをすればいい、そう思っていたので、自分がこの編集をするならどうするか、など、一度も考えたことがなかったのだ。
何も答えられない私に、彼は、呆れた顔をして言った。
「お前さあ、アシスタントディレクターだろ?
ディレクションが仕事だろ?」
え。
ADって、そういう意味なの?聞いてない、と、思った。
ふと、周りを見渡せば、同期は続々企画書を書き、デビューの準備を進めていた。
編集作業中は、先輩のディレクターに堂々と意見をし、よりよい映像になるように、一緒に悩み、共にひとつの作品をつくりあげていた。
ただのマシンのように、それこそ奴隷のように
言われたことをそのままやっているアシスタントなんて、私だけだった。
そして、そのとき、大事なことに気づくんです。
私、この2年間、無駄にしたーーーーー!!!!!
2年間、一度も自分の頭で考えていなかった私。人に言われる仕事をそのまま何の疑問も持たずにやっていた私。
なんてもったいない2年間を過ごしたんだろう。
そこからのリカバリーは想像以上に難しかった。
自分だったら、どうするだろう?365日間、それを考え続けた人と、それをしなかった人の間には、取り返しのつかないくらい、大きな差が生まれる。
どんどん大きな仕事をまかされる同期の活躍を目の端でちらちら気にしながら、アシスタント時代は優秀だと言われていたのに、なかなか仕事をまかせてもらないことに落ち込み、けれども、自分の頭で考えてこなかったので企画書も書けず。気づけば一年下の後輩たちにも、次々とデビューを抜かれ。
鬱々とした気持ちは体調の変調へとつながり、体を壊してやめることになった。
入社3年目の時のことだった。
3年も会社にいたのに、結局わたしは5分のコーナーVTRを1本作っただけで、テレビの制作会社を退社した。
退社と同時に結婚した相手は、同じ会社のプロデューサーだったのだけど、
「うん、辞めてよかったと思うよ」
と、きっぱり言った。
「ゆみは、自分で納得しないとダメなタイプだから口出ししてこなかったけど、ゆみほど、テレビの仕事に興味を持ててない子、見たことないと思ってたもん。この仕事を続けていく才能、ないよ」
と、言われた。
ひとことも反論できなかった。
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ライター業に転職した時、だから、「今度こそ、自分の頭でちゃんと考えよう」と、心に決めたのだ。
ライターになろうとした私は、売れっ子のライターの先輩の撮影お手伝いから、この業界に飛び込んだのだけれど、
今度こそ、目を凝らしてその仕事をみよう。そして、自分だったらどうするか、自分が任されたらどんな文章を書くか、いつも考えていよう。そう思って、毎日過ごしていた。
先輩に、どう思う? と言われたら、すぐ意見を言えるように、
先輩が、やってみる? と言ってくださったらその時は、いつでもバッターボックスに立てるように、
そんなことを、頭の中で呪文のように唱え続けながら、仕事をしていた。
この時わたしは24歳だったから、もう20年前か。
思えば、この時から、いろんなことを考えてきた。
編集さんは、どんな文章を求めているのか。
売れてるライターさんは、何が違うのか。
読みやすい原稿は、どんな特徴があるのか。
長く続けるには、何が必要なのか。
どのレベルまで到達すれば、食べていけるのか。
どうやらライターに必要なのは、文章力だけではないみたいだ。
何かに気づいた。少し上手くなったと思ったら、次の課題がむっくりと顔を出す。
山登りを始めたら、ふもとからは見えなかった次の山が、どんどん現れるような感じだ。
天井がどこにあるのか、いまも、見えない。多分、ないのだろう。
文章を書いて生きていくということは、こうやってこれからも、自分の頭と足で、この山を登っていくことの連続なんだと思う。
わたしは、
書くことは、生きていくことと、ほとんど同じだと思っている。
書くこととは、生きる態度みたいなもののことを指すと思っている。
だから、その方法は、誰かに教えられることではないと思っているし、誰かの手法をすっぽりかぶって上手くいくというようなものではないと思う。
なのに、
それでも私はいま、文章の書き方を教える講座を持っている。
そこで、何を伝えられると、わたしは思っているのか。
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昨夜の宣伝会議さんで、私の講座に興味を持ってくださった人たちには、こうお話しした。
ライターの仕事の大部分は、技術だと思っている。
センスとか感性ではなく、テクニカルなことなので、教えることができるし再現できる。
その技術はもちろん、みっちり、体にしみこませてもらえたらいいなと、思う。
それはもちろん、やります。
だけど、書き続け、書いて生きていこうと思うと、またちょっと違った思考が必要になってくるはずだ。
いや。
どちらかというと、その思考が楽しいから、ライターの仕事を、病まずに楽しく続けられる、と言ったほうがいいかもしれない。
そんな、
書いて生きていくことについて、講座でも考えていきたい。そして、一緒に考え続けられる、仲間を見つけて欲しいなと思う。
昨夜は、一期生の人たちが、何人か応援に来て、一緒に受講生の質問に答えてくれたのだけれど、
彼/彼女たちが、身体の芯を通った自分なりの言葉で、書くことについて語ってくれているのを聞いていて、ああ、この講座、やらせてもらってよかったなあと、思いました。
2期でも、ともに、書いて生きていく素敵な仲間に出会えたら嬉しいなー。
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