言葉は裏切る。『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)_057
読書ブログをnoteに移すことにしました。#さとゆみ今日の一冊 今後ともよろしくお願いいたします。
で、かもめのジョナサン、ね。
全世界で4000万部(日本でも270万部)売れたこの物語。
4年前に第4章が追加された完全版が出たことは知っていたのですが、完全版を読んだのは今回が初めてです。
友人のジョンのことを考えていたときふと、あ、そういえば、ジョン(ジョナサン)の続編読んでないな、と思い出しました。
(友人の方はトラボルタが由来なんだけど)
もともと出版されていた3章までのストーリーで提示された言葉を、オセロのように全部裏返していった今回の完全版。
このオセロの返し方自体がすごく鮮やかで、賛否あるようだけど(ジョナサン的に言うと人の賛否なんかどうでもいいんだろうけど)、私はそれ自体の体験が面白かったなあ。
つまり、1章から3章までは、同じ文章なのにも関わらず、4章の存在があることで、3章までの言葉の持つ意味が多重になる。場合によっては裏返る。
言葉はなんにでもなれるけど、なんにもなれない感。
言葉はただの言葉でしかない感。
が、この物語のテーマのひとつでもあると思うのだけれど、それをこの物語自体が証明した感もあって。
その感じが、いまの自分にとてもフィットしてえぐくて良かったです。
フィットといえば、
ここ1年間、ずっと考え続けているのが、身体性と思考の関係性です。
肉体は思考そのものであって、それ以外の何者でもない
ということを、よく考えていて、なんかの本で読んだ記憶があったんだけど、ジョナサンだったかあ、と、今回思いました。
私が生きてる世界は、もっとずっとシンプルで、もっとふんわり弾力があって自由なはずなのに、もっとたっぷり愛することだけにまっすぐでいいはずなのに
余計な意味付けをするから、贅肉がいっぱいついて、なんか動きがもっさりしてる、重たいパソコンみたいだなって思うときある。(自分が)
そういうときは、思考が身体性と乖離してる時が多いんだよな。ちょうど、4章で身体性と離れた言葉だけが流布して腐敗していったときのように。
そういう時は、もうちょっときゅっと身体を絞った方がいい。トレーニングを重ねると、余計な贅肉が落ちて、腐った枝葉が落ちて、時空や肉体的な束縛を離れて、もっと自由になれる。雑味が減る。ピュアになる。
なんてことを思ったよ。
この本は、読むたびいろんな発見のある本ですが
飛ぶことの歓びを味わうために飛ぶ
という一文が、好きです。
「かもめのジョナサン」(リチャード・バック) amazonはこちら。
飛ぶことの歓びを味わうために飛ぶ
ジョナサンにとって、飛ぶ、は
私にとって、書く。
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