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蓄えるからツナグへ

 岩の割れ目を神社で祀られている事をよく見る。
 大昔、木の根が岩を割ると、数百年のうちに水が沸く。と考えていたのかもしれない。大昔は、数百年のうちに水が沸きそうであれば、子孫に代々語り継いでいた。
 現代の人たちは、数百年のうちに水が沸きそうと知っても、数百年後の事は関係ない。「俺、死んでいるし。」と考える。
 
 人類が自然の循環に合わせる時、人間の循環が短期間すぎるためにツナグ(繋ぐ、継なぐ)事が必須となる。さもなければ自然の循環に対峙することは不可能だ。どんどん大きな流れから離脱して、存続する事すら危うくなってくる。
 
 現代人は、自分の世代に得て蓄える事に必死すぎるのではないか?農業をとってみても、来年再来年の収穫ばかりを気にして、農薬や肥料、除草剤を使う。100年先の大地の事は関与しない。
 私の活動する白山市白峰には、50年周期の焼畑農業が残る。今年からは、これを学び、できるだけ非効率な農業を試み学んでいこう。

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