メタバースの可能性
子供のころ、納得いかないままに、親や先生の言いなりになったことはないでしょうか。
子供のころ、なんで?!なんで?!何か矛盾を感じて、それをぶつけていたら、面倒がられ、知ることを諦めてきた気もする。
道理でつなぎ説明できない事は、否定されることが多い。世の中は、論理的なロゴス思考で支配されている。感性が強い子供たちが、世の中の矛盾点を指摘しても、取り合ってもらえない。
多くの子供たちが、感性を捨て、ロゴス思考の望みに対応し生きていく。一方で、学校にも行かず、親と話す機会を減らす子供たちもいる。後者は、一般(ロゴス)的に不登校児童とよばれたりする。不適格の烙印にもみえる。大人の場合、病名をつけられる人達もいる。
論理型のロゴス的思考に対し、感性的な知性をレンマ的知性という。
このレンマ的知性の認められる世界があれば、多くの人が楽に生きていけるかもしれない。レンマ的知性でコミュニケーションできる世界をメタバース空間で成立させることができれば、メタバースの社会性は高い。
そして、ロゴスとレンマが、対立なく共存する世界が人類をより豊かにしていくに違いない。