「享保の暗闘~吉宗と宗春」3
第3景
江戸城内(享保17年)
吉宗と深徳院。
吉宗 「なんだ」
深徳院 「上様、お世継ぎのことはどうお考えなのですか」
吉宗 「当たり前のことを聞くな。家重に決まってるではないか」
深徳院 「本当ですか」
吉宗 「本当だ」
深徳院 「しかし城内では宗武が次の将軍になるという話で持ち切りです」
吉宗 「宗武は家重の弟ではないか。馬鹿なことを申すな」
深徳院 「しかし」
吉宗 「しかし何だ?」
深徳院 「家重は宗武に比べて聡明ではありません」
吉宗 「お前は家重の実の母だろう。そんなこと言うものではない」
深徳院 「じゃあ上様は家重の方が優秀だと?」
吉宗 「そうだ」
深徳院 「ウソばっかり。家重は二十歳になった今もいまだきちんと喋ることすらできないではないですか」
吉宗 「だから何だ」
深徳院 「宗武は一六にして文武共に秀でていると誰もが認めています」
吉宗 「そうかもしれぬ。だとしても弟の宗武が家重を盛り立てるよう努めるのが武士としての務めだ」
深徳院 「宗武はそうは思っておりません」
吉宗 「だから宗武はダメなのだ」
深徳院 「ではそのように宗武に仰ってください」
吉宗 「わかった」
深徳院 「上様」
吉宗 「なんだ」
深徳院 「家重をよろしくお願いいたします」
吉宗 「大丈夫だ。宗武のところへ行ってくる」
深徳院 「私もご一緒いたします」
吉宗 「いいって」
深徳院 「上様を信用していませんから」
去っていく二人。を見送っているのは六道屋仁吉。
六道屋 「将軍吉宗様のご長男・家重様は知恵遅れだってえ噂もありましたが、実際はそうではなくて、単に発語障害ってんですか?口が上手く回らないご病気のようでした。しかしそんな家重様を兄に持った弟・宗武様は家重様を尊敬できなかったんでしょうな。誰もが宗武様を次期将軍にすべきだなんて言うもんだから本人もその気になってしまったんでしょう。この兄弟の仲の悪さは江戸中で知らねえ奴なんていないってくらいで。公方様は子供のことでは苦労していたようです」
赤ん坊の泣き声。
六道屋 「こちら尾張の春様にも男子が授かったようです」
尾張江戸藩邸(享保17年5月)
門前にいる新八と堅物
堅物 「うおおおおおおおおおお」
新八 「おい」
堅物 「うおおおおおおおおおお」
新八 「おいってば。何叫んでんだよ」
堅物 「泣いてるんだ」
新八 「泣いてる?お前が?どうした?」
堅物 「尾張の後継ぎができたんだ。こんな嬉しいことはない」
新八 「嬉し泣きかよ」
堅物 「うおおおおおおおおおお」
新八 「宗春様はお前以上に嬉しいんだ。泣いてんじゃねーよ」
堅物 「うおおおおおおおおおお」
やってくる春日井。
堅物 「(泣き止み)あ、春日井様」
春日井 「あら堅物さん。江戸にいらしてたのね」
堅物 「はい」
春日井 「お元気そうでなにより」
堅物 「春日井さんこそ」
新八 「ご無沙汰しています」
春日井 「誰?」
新八 「またまたご冗談を」
春日井 「?」
堅物 「?」
新八 「やめてくださいよ。新八です。柘植新八」
春日井 「どうも」
堅物 「万五郎様の初節句に来てくださったんですか」
春日井 「ええ。お披露目があるって春様から聞いたので」
堅物 「ありがとうございます」
新八 「・・・」
六道屋、来て
六道屋 「お、春日井様」
春日井 「六道屋様、本日はおめでとうございます」
六道屋 「いやいや。めでたいのは春様ですから」
春日井 「それにしてもあの春様がお父上になるんですから、時間の経つのは早いものですねえ」
六道屋 「春日井様はいつまでも美しいですな」
春日井 「冗談ばっかり。ねえ新八」
新八 「はい!」
六道屋 「おい、お前失礼だぞ」
新八 「すいません。覚えていてくれたのが嬉しくてつい」
六道屋 「しかし春様も豪傑だねえ。尾張ならいざ知らず、江戸でこんなド派手なことをやるなんて」
春日井 「お世継ぎができたんです。さぞやお喜びなのでしょう」
六道屋 「そうだけどよ。だからって誰でも来ていいなんて言ったら尾張藩邸がお祭り騒ぎになっちまいますぜ」
春日井 「春様はそうしたいんでしょう」
六道屋 「お、噂をすれば」
町衆たちが「おめでとうございます」とやってくる。
堅物 「ありがとうございます。もうすぐ殿がお出迎えに来られます」
町衆「そうなのか!」「畏れ多い!」など。
堅物 「それまで少しお待ちください」
新八 「おい堅物」
堅物 「いいからあんたも働きなさい」
新八 「何なんだよ。俺はお前の上司だぞ」
宗春と星野が奥からやってくる。
町衆たち口々に「おめでとうございます」
星野 「尾張藩主、徳川宗春公である」
宗春 「皆の衆、今日はわが息子万五郎のために集まってくれたこと、大儀であるぞ」
星野 「ささ皆様。本日は尾張藩邸の庭を開放する。楽しんでくだされ」
堅物 「皆様、中へどうぞ」
新八 「中へどうぞ」
町衆たちを先導する堅物と新八。奥に入っていく。
宗春 「六道屋、来てくれたのか」
六道屋 「当たり前じゃないですか。しかし大丈夫ですか?」
宗春 「何が?」
六道屋 「ここは江戸ですぜ。世は享保の改革の真っ最中だ。こんなとこでこんなド派手なことしてたら幕府に目をつけられるに決まってる」
宗春 「何を申すか。尾張でやっていることをしているだけではないか」
六道屋 「だからそれがヤバイんですって」
宗春 「ヤバイ?」
六道屋 「だってそうでしょう。尾張ならまだしも、江戸でこんなことしたら幕府だって見て見ぬふりはできないでしょう」
宗春 「コソコソするつもりはない。尾張も江戸も一緒、それが俺のやり方だ」
六道屋 「しかし」
星野 「それが宗春様のやり方です。我らは何も悪いことはしておらぬ」
六道屋 「ま、気を付けてくださいよ」
星野 「春日井様、ようこそおいでくださいました」
春日井 「星野様も変わりませんね」
星野 「恐れ入ります」
宗春 「・・・」
星野 「六道屋様、我らも行きましょう」
六道屋 「おお、そうだな。では」
星野 「先にご案内して参ります」
宗春 「わかった」
星野と六道屋、奥に行く。
宗春 「・・・」
春日井 「春様、此度は万五郎さまの初節句、おめでとうございます」
宗春 「かたじけない」
春日井 「おはる様もご息災のご様子」
宗春 「春日井」
春日井 「はい」
宗春 「お前から祝いの言葉を言われるのは心苦しくもある」
春日井 「春様、私は春様にお世継ぎができたこと、心から嬉しく思っているのですよ」
宗春 「そんなはずはあるまい」
春日井 「そうなのです。女とはそういうものです」
宗春 「・・・」
春日井 「ご案じなさらずともよろしゅうございます」
宗春 「・・・俺が正室を持たない理由が分かるか?」
春日井 「え?」
宗春 「お前を正室に迎えることができなかったからだ」
春日井 「・・・」
宗春 「俺の人生で俺はお前を一番好いておった」
春日井 「・・・」
宗春 「しかし俺は尾張徳川の者だ。正室には相応の家柄の女子を迎えなくてはならぬ」
春日井 「・・・」
宗春 「お前にはお前の幸せを掴んで欲しかった」
春日井 「・・・」
宗春 「何故嫁に行かなかった。日本橋の大店から縁談の話があったと聞いたぞ」
春日井 「・・・」
宗春 「・・・」
春日井 「あのとき私は恋をさせてもらいました」
宗春 「恋?」
春日井 「春様が私を想っていてくれたこと、私が春様を想っていたこと。そのことだけで私は生きていけるのです」
宗春 「・・・」
春日井 「私にとってあの恋は永遠です。あの恋がなかったら私は生きることの楽しさを知らぬまま生涯を終えていたでしょう」
宗春 「恋とはそんなに大切なものか」
春日井 「春様も分かってらっしゃるではないですか。そうでなければ私との縁はとうになくなっておられるはず」
宗春 「お前といた頃は楽しかった。時が永遠のように思えた」
春日井 「・・・」
宗春 「恋か・・・春日井、お前はやはりいい女だなあ」
春日井 「お世継ぎがお生まれになったのですから、宗春様は益々ご活躍していただかないと」
宗春 「うむ」
春日井 「おめでとうございます。私も御庭に入れていただけますか」
宗春 「おお。万五郎のために作らせた鯉のぼりを見てくれ。東照宮様お譲りの御旗もある」
宗春 「ありがとうございます」
奥へ入っていく二人。
覗き込むように入って来る乗邑、神尾、助六。
助六 「軟弱者めが。何が恋じゃ」
神尾 「あれが尾張の本質だ。女に現を抜かすだけの軟弱藩主だな」
乗邑 「しかし宗春は上様のお気に入りでもある」
神尾 「上様は質実剛健なお方。宗春のどこをお気に入りなのでしょう」
乗邑 「分からん」
神尾 「分からんのですか」
乗邑 「お二人とも元は部屋住みだからな。上様は部屋住みだった宗春を憐れんでいたのかもしれぬが」
神尾 「はあ」
乗邑 「それも過去のこと。徳川御三家の藩主になった宗春が生意気にも幕府に反発しているのは面白くはないだろう」
神尾 「しかし温知政要をお読みになって、面白かったと仰ってましたが」
乗邑 「尾張の田舎でならいざ知らず、この江戸でこんなに派手な節句を祝うなど言語道断であろう。助六!」
助六 「ははーっ!」
乗邑 「急ぎ尾張へ行って参れ」
助六 「は?」
神尾 「附家老の竹腰志摩守にここで見たことを伝えるのだ」
助六 「は、ははー」
助六、去っていく。
神尾 「乗邑様」
乗邑 「なんだ」
神尾 「上様から祝いの品が届くなんてことはないでしょうね」
乗邑 「上様ならやりかねん。その前にこの件を上様の耳に入れておかねばなるまい」
民衆たちが戻って来る。
宗春様は大したお方だな!
尾張が将軍になっていたほうが良かったんじゃない
今の将軍様はケチでいけない
など、宗春を賛美し、吉宗を下げるような言葉が飛び交う。
その中に笠を被った吉宗がいる。
乗邑、神尾を通り過ぎていく民衆たち。
乗邑 「まずいな」
神尾 「まずいですね」
乗邑 「このまま宗春の人気が高まって行ったら」
神尾 「上様、地味目ですもんね」
乗邑 「見た目の問題ではない。上様より宗春のほうに人気が集まれば、幕府の統制が取れなくなり、百姓どもが一揆を起こす事態になりかねん」
神尾 「一揆」
乗邑 「何とかしなくては」
吉宗 「そうだな。何とかしなくてはいけないようだ」
神尾 「う、上様!」
乗邑 「お一人でらっしゃいますか」
吉宗 「宗春が藩邸を開放すると噂で聞いたのでな。忍びで覗きにきたのだ」
神尾 「さようでしたか」
吉宗 「先ほど民の声を聞いた。宗春の人気はすごいものだな」
乗邑 「あれだけ庶民を甘やかすようなことばかりしているのです。人気が出ないほうがおかしいかと」
吉宗 「宗春の人気が高いのは構わんが、わしは悪人のように思われているようだな」
乗邑 「はあ」
吉宗 「わしはわしなりに民のために働いているつもりなのだが」
神尾 「上様は粉骨砕身、民のために働いておられます。享保の改革を進めているのもまさに民のため、御国のためではございませんか」
乗邑 「今回の倹約令もやらねば国が破綻していまいます。時がくればこの国の者すべてが上様が正しかったと知ることになるでしょう」
吉宗 「しかし、そのことを分かってもらえてはいないようだな」
乗邑 「それは宗春様が庶民の顔色ばかりみて、本来すべき政を軽んじているからです」
吉宗 「あいつにその気はないのかもしれぬ」
乗邑 「ただこのままでは立ち行かないのかもしれませぬ」
吉宗 「うーむ」
神尾 「誰か来ます」
姿を隠す吉宗一行。
そこに春日井と六道屋を見送りに来た、宗春と星野。
六道屋 「いやあ、いいもん見させてもらいやした」
春日井 「本当にお幸せそうで、私も嬉しいです」
宗春 「喜んでもらえて俺も嬉しい」
六道屋 「お世継ぎもいることだ。これからもっともっと励まないとな」
宗春 「お前の力も借りることになる。よろしく頼むぞ六道屋」
六道屋 「私なんざ大したことはできません。星さんにもっともっと活躍して貰わないとな」
星野 「私は殿のお側でできることをするだけです」
六道屋 「それでいいんだよ」
春日井 「では、私たちはこちらで」
六道屋 「春さん」
宗春 「なんだ」
六道屋 「江戸でこんなことをやっちまったんだ。幕府の連中も黙っちゃいない。これからはゆめゆめ気をつけてくれよ」
宗春 「何を言っておる。何も問題などない」
星野 「殿!あちらに」
吉宗が出てくる。
乗邑、神尾も出ていく。
宗春 「公方様!」
六道屋 「く、公方様?」
周囲、控える。
宗春 「公方様、こんなところでいかがなされましたか」
吉宗 「お前に嫡男が生まれたと聞いたので足を運んだのだ」
宗春 「それは、恐悦至極に存じます」
吉宗 「・・・」
宗春 「・・・何か」
吉宗 「宗春」
宗春 「はい」
吉宗 「後日改めて祝いの品を届けさせる」
宗春 「ははっ!」
吉宗 「ではな」
宗春 「ありがとうござりまする」
吉宗、乗邑、神尾、去る。
宗春 「・・・」
六道屋 「さすがは将軍様だ。貫禄が違いますな」
宗春 「・・・」
星野 「公方様、様子がおかしかったですね」
宗春 「ああ・・・」
暗転。
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公演台本「享保の暗闘~吉宗と宗春」
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