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芸人の影響力(違法カジノと合法カジノ)からの教育論やら誰の問題やら

19日、令和ロマン・高比良くるまが活動自粛を発表した。高比良は2019年から2020年にかけてオンラインカジノを利用していたことを認めていたが、この決断にさまざまな声があがっている。ただ、「違法ではないと認識していた上に、時効が成立した時期ではあるが、影響力の大きさを考えるとやむを得ない」という声が多いのではないか。

 14日に放送された『酒のツマミになる話』(フジテレビ系)。この日はバレンタインデー当日の放送だけに、「2月14日に告白して交際し、結婚記念日も同日」という千鳥・ノブを中心に出演者がエピソードを語るところからスタートした。
 ノブのトークパートになり、切り出したのは正月に韓国旅行したときのエピソード。「芸能人がカジノに行くって、坂上(忍)さんがグワ~ッと使うとかさ、とんねるずのタカさん(石橋貴明)がウワ~ってやったとか、豪快な。俺もウワ~って24時間くらいカジノにいたんですよ。うりゃ~ってやって20万勝って帰ったんですよ」と語った。
 それを聞いたスタジオの野呂佳代、本田真凜、森香澄、国生さゆりはそろって「凄い」と反応。しかし、ノブは「これを帰国して大悟に言うと大笑いしたんですよ。『そんな人間聞いたことない』って」と女性陣の反応とは異なる方向で話を続けた。
 すると大悟が「この世で一番難しいこと。5万円持って20万円勝って帰ってきたならわかるよ。こいつ100万円くらい持って行ってるんですよ。で、120万円で帰国する。これが世の中で一番難しい」とその理由を説明。女性陣は「20万円でも十分凄い」というムードの中、「もっと上を狙うか、お金を使い切ることが当然の美学」のように言い切った。
 さらにノブが少額でも勝つこと、負けないことに意義を感じ、「1万でも1円でも勝って帰りたい」と語ると、澤部佑は「あんま聞かないな、芸人とか(の話では)」とやんわり否定して大悟に同調。すると大悟が「ワシも同じ時期に韓国の別のカジノに行って。額は言わないけど、最後の最後にケツから血が出て終わった」と笑いながら打ち明けた。

 女性陣に「ノブと大悟のどっちがいいか」と問いかけながらも、すでに場は「ケツから血が出るほどの額を賭けた大悟は面白い。20万円を持ち帰ったノブはせこい」というムードで覆われ、最後までそのニュアンスでトークは終了した。
 奇しくも14日は高比良ら吉本興業所属の芸人たちがオンラインカジノ賭博の疑いで警視庁の任意聴取を受けたことが報じられた日。その第1報からわずか4時間後に「同じ吉本興業の千鳥がカジノを笑い話として語る」という間の悪さを感じさせられた。

木村 隆志(コラムニスト/コンサルタント)/現代ビジネス

 オンラインカジノは違法、韓国など海外のカジノで遊ぶことは合法。そういうことではあるが、このライターの木村さんは千鳥の「面白がり方」やテレビマンの「面白がり方」に一石を投じようとしている。
 皆さんはどう考えるのだろう、という素朴な疑問が湧いてきた。僕は木村さんが考えすぎなんじゃないかと思ったんですが。さて、記事は続きます。

 女性出演者たちが20万円勝ったことに「凄い」と言っていたが、一般人の感覚も同様だろう。しかし、千鳥の2人は「自分たちは大金を持っていて、それを賭けるのが芸人として当然」というスタンス。昭和時代から続く「芸人は型破り、豪快であれ」「ギャンブルは芸人としての器が試される場」という意識がうかがえる。
 はたしてどれくらいの人々がそれを芸人に求めているのか。物価の上昇が続き、「○万円の壁」が話題にあがる今、ウケるかどうか以前に「カジノに多額を注ぎ込むという行為に引く」という人もいるだろう。なかには自慢げに語っているように見えて不快な人もいるのではないか。そもそもカジノに行くこと自体、一般人の感覚とは遠い感があるだけに「昭和からアップデートされていない古いタイプの芸人」に見えてしまうのかもしれない。
 一方、テレビマンたちにも、その感覚が残っている。昭和から続く「型破り、豪快な芸人は面白い」「芸人のギャンブルエピソードはウケる」という感覚が千鳥のエピソードを採用させたのではないか。時代は変わり、人々の価値観も変わっているにもかかわらず、「半世紀ほど前と同じ感覚のトークで笑いが取れる」と思っているところに危うさを感じさせられる。
 これは千鳥や芸人そのものが変わることも大切だが、本来は「番組や出演者を客観視する立場のテレビマンが指摘すればいい」というだけのこと。しかし、それが行われないのは千鳥が芸人トップクラスの実力者で口を出しづらいからかもしれない。

同上:木村さん

 僕が小学生の頃、空前の漫才ブームが到来した。その中で子供心にびっくりしたのはこのネタ。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

 大人がこんなことを言って良いのかと僕は驚愕した。しかしそのネタで当時の観客たちは大爆笑!それを見ながら僕が思ったのは「そうか。やっちゃいけないことってみんなが分かってるから、その理不尽さに笑いがある」ということだ。実際に赤信号を渡っちゃいけないなんて当然だ。昭和の大人たちだってみんな知ってる。それを敢えて口にする芸人に「そんなことできたら面白いよね」とか「奇天烈なことを言う面白さ」という評価があって笑いがある。ちなみにこのネタはツービートのビートたけしが放った。
 ま、木村さんの言い分を続けます。

「単に感覚がズレている」という時代錯誤なだけであれば、視聴者は「面白くないから見ない」という判断をすればいいものだが、人気芸人がそれを笑い話として語ることで少なからず影響が出てしまう。
 今回で言えば韓国のカジノは「違法ではない」ため、エピソードとして不適切とまでは言えないし、放送としても排除されるべきではないのかもしれない。しかし、千鳥ほどの人気芸人が当たり前のようにカジノでギャンブルを行い、それを楽しそうに話す。
 しかも「大きく負けても笑いに変える」「20万円勝っても『せこい』と笑いものにする」というスタンスは、カジノや多額を注ぎ込むことのハードルを下げていると見られても仕方がないのではないか
 現在オンラインカジノに関して問題視されているのは、「違法ではないと思ってはじめる人も多い」「スマホでやるゲームのような感覚がある」こと。「海外運営のものを国内でやる場合は賭博罪にならない」という嘘の情報がネット上に流れるなど、違法と合法の境界線がわかりづらく、はじめることのハードルが低いという危うさがある。実際、ネット上には「どうして海外でカジノへ行くのはいいのに、オンラインカジノはダメなの?」という声があがっていた。
 もちろんその境界線を見極めるのは個人であり自己責任だが、ふだん親しんでいる芸人がカジノを楽しむ話をすることで「これも大丈夫だろう」と思わせてしまうリスクを生んでしまう感は否めない。千鳥に悪気はなくてもエピソードトークをすることで、少なからず本来カジノとは縁遠い人を多少なりとも引き寄せてしまうところはあるだろう。
 高比良は大学時代の知人から誘われてオンラインカジノをはじめたことを明かしていた。一方、千鳥の話がきっかけでカジノに興味を持ち、図らずもオンラインカジノと出会ってしまう人がいないとも限らない。責任を負うところではなく、程度の差もあるが、「誰かの影響を受けてはじめる」というきっかけの構図は近いように見えてしまう。

前出:木村さん

 確かに情報が溢れかえっている現在、違法か合法かが見えづらくなってるのは否めない。おっしゃるとおり。でも木村さんも言っているが、これって自己責任なんじゃないかと僕は思ってしまう。「千鳥がカジノの話をして楽しそう」と「カジノって気楽だよね」と思うことは一緒なのかな。違法か合法かで言えばドラッグなんてもっとヤバイ。
 合法だと聞いたからとドラッグに手を出す時点でその人はどちらかといえばヤバイ側の人間だし、「オンラインカジノは合法だって聞いたから」と言ってる高比良くるまはそもそもギャンブルに目がないからやってしまうわけで。合法だろうが違法だろうが、そのギリギリを攻めてる時点で一般人とはかけ離れてる気がするんですよね。

 オンラインカジノの怖さは違法であることだけでなく、お金を使っている実感が薄い上に、いつどこでもできてしまうこと。事実、「ゲーム感覚でやっていて気づいたら○千万円使っていた」「仕事中でもついやりたくなってスマホで開いてしまう」などの声が各所で報じられている。
 『M-1グランプリ』史上初の連覇を果たしたほどの人物が活動自粛に追い込まれたことの影響は大きく、いくらかの抑止力にはなるだろう。もしかしたら吉本興業所属の芸人たちが騒動を起こしたことで、千鳥は今後カジノやギャンブルにかかわる話をほとんどしなくなるのかもしれない。
 ただそれでもこれまでの経緯を踏まえると、カジノやギャンブルそのもので多額を投じる芸人は減らず、テレビでは自粛しても、YouTubeチャンネルなどでは語るのではないか。それらは個人の自由だが、自分たちの美学よりも影響力の大きさを踏まえた行動を求められる時代になったことも自覚しておくべきように見える。
 そして高比良らは芸能人という表に出る仕事を続けていく上で、時効成立で立件できないことは決して「ラッキー」ではなく、復帰に向けた何らかのアクションを世間は求めていくのではないか。単に活動自粛するだけではなく、たとえばオンラインカジノの危うさを訴える社会的活動を行うなどの積極的な行動が復帰の近道だろう。これは裏を返せば、世間の人々にしろスポンサーにしろ、それ以上の社会的制裁は不要ということかもしれない。
 一方、テレビ局には、バラエティでのカジノやギャンブルそのものに関するポジティブなトークだけでなく、ネガティブな一面も放送する公共性が求められる。たとえば、報道・情報番組やドキュメンタリーでカジノやギャンブルそのものの危うさも伝えていくべきだろう。
 また、それ以前に芸人もテレビ局も、前述したように「型破り・豪快な芸人は面白い」「芸人のギャンブルエピソードはウケる」という前時代的な感覚をそろそろ変えていきたいところ。今回はギャンブルにかかわる話だが、両者はいまだに「過去のやんちゃ話」「最高年収の話」「イニシャルトーク」などがウケると思っているなど、他にも時代錯誤なところが残っているだけに、変わるいいきっかけになるのではないか。

木村さんの言い分も全否定できない

 木村さんは「酒のツマミになる話」で大悟が「芸人は破天荒なほうが面白い」という空気を作ったと書いているが、木村さん自身が大悟と同じように「芸人は破天荒なネタをしなくなったらいい」という空気を作っていることに気付いてないのが面白い。
 ただ共感できるのは、ドラッグもギャンブルも娯楽なんでしょうけど、そこには中毒性があって、人生を狂わせる可能性を秘めているから「違法」なんだということ。ちゃんとネガティブキャンペーンも張っていかなくてはいけないとは思う。それは芸人のトークを制限することではなく、芸人が犯罪を犯さないことであり「今、悪いことを言ってるんですよー」っていう突っ込みも必要だと言うことかなと思う。
 ただただ「あれもダメ、これもダメ」という風潮は僕は人間をダメにするような気がしています。モンスターペアレンツが怖くて生徒を叩いちゃいけないことになって、DVと言われることが怖くて自分の子供が悪いことをしても叩くことさえ、叱ることさえできないのはおかしいと思う。

怒りに任せて叩くことと、叱ることは別のことだと僕は思っています。

 僕は子供の頃叩かれて育ってますが、親や先生が虫の居所が悪くて叩かれてるのか、子供の僕に分かって欲しくて思わず手が出てしまっているのかの判断はできてました。今の子供たちだって本当はそうなんじゃないかと思っています。叱れなくなったのは大人たちの都合で、子供たちは悪いことをしたときに叱ってもらえない(叩くかどうかは別としても)ことで何がいいことで何がいけないことか区別があいまいになってしまっている気がします。
 こんなことをしたら親にこっぴどく叱られる、と思いながら悪いことをするのと、いいか悪いかも分からずに他人を刺してしまうのとでは、どっちがまともなんだろう。

 テレビで芸人がとんでもないことを言っていて、子供がそれを真似していたらちゃんと叱った方がいいんじゃないですかね。子供ってそんなにバカじゃないし、逆にそんなに物分かりがいいわけでもない。
 テレビのせい、先生のせい、社会のせいにする前に、自分を顧て「もしかしたら自分のせい?」か立ち止まって見るべきだと思ったりします。

 皆さんのご意見、お待ちしています





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佐藤雀@すずめ組
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