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上を向いて歩きたい
こんにちは。さとうさです。今日はすっかり春です。半袖で汗かきました。暑がりの友人とは「冬って涼しくていいよね」と言っていたので、自分がちょっと暑さ感覚がおかしいうえとはいえ、あったかいです。
さて、タイトルについて。もちろんあの歌のタイトルのオマージュです。上を向かないと涙はこぼれそうですが、下を見ていないと知っている顔に会うのがいやで、下を見て歩いています。
今回、この記事を書こうと思ったのは、ずばり
自分の住んでいる駅の周りを散歩したら、つらくてしんどくて、悲しさと内なる攻撃性と、混乱と全部出てきて、頭があつくなって涙が出てきかけてやばかったから。
その考察をしたくてです。
出かけようと思った理由は昼過ぎまで寝ていて、元気になったのと、天気が良いのと、甘いものが家になくて食べたかったのと、花の写真撮りたいのと、行けるような気がしたから。ええ、とてもシンプルで良いですね。
で、出かけたんです。駅前までは5分程度。でもね、出てすぐもうしんどい。
以下のような理由でしんどい。
【ネガティブなことを思い出しちゃう】
私はこの土地に住んで6年半になりますが、良くも悪くも色々な思い出が詰まっている。どちらかというと「なんで…」という悔しい思いが強い。歩くと色んなところに色んな思い出があるので、思い出しちゃうんですよ。あぁ、ここであれがあったな、とか。どうしてそのあと、こうされなければいけなかったんだろうとか。こんなに晴天なのに紐づいちゃう。
【知り合いに会いたくない】
元住んでいたグループホームが近くにありますが、そこの利用者とかは全然いいんです。どちらかというと、過去や現役の支援者に会いたくない。
地域支援の現場だと、近隣に住んでいる人も多く、同じ駅、スーパーを利用することもあります。実際プライベートで見かけたこともあります。私は買い物他、できないから手伝ってもらうということになっている。でも、一人で歩いていると「なんだできるじゃん」って思われる。それがめんどくさい。(理由は後述)
あとは、単純にこの地には、後味悪い形で縁が切れた人が多すぎて、そういう人たちに会いたくないってのが多すぎます。
【休日の幸せそう(実情はしらない)な家族にいらいらする】
はい、嫉妬です。一番私の刺激されたくないものですね。しかも実際幸せかなんてわかりません。でも、嫉妬です。それがうらやましいを超えて攻撃的な発想になるので、そういう気持ちになる自分への苦しさもあります。
【単純にごみごみしているのが疲れる】
聴覚過敏、視覚過敏などにきます。あと身のこなしがスマートではないので、ぶつかります。よろけます。にらまれます。ごめんなさい。
…というところまでは疲れる理由なんですが、やっぱりこうしている中で「買い物一つできなくなってしまった自分への悔しさ」「でも一人で歩いていることを見られたら買い物できるじゃんって言われることへのだるさ」みたいなのがあふれるんですよ。からのマジで生きてるってだりいな、ってとこに。
一応「一人で外出できない」んじゃなくて「一人で外出しない」という設定の方が自分の中でよかった。けどやっぱちがうんだなって思っちゃった!
上記の理由に加えて、一人で買い物をしたくないのって自分をコントロールできないからってのもあるんですよ、実は。
一人だとわからなくて、エネルギー切れて座り込んで泣き出しちゃうとか、ご飯がなくて塩をなめていた(GHに住んでいたのに…)あの時代を思い出して、ひもじいことに恐怖を感じて買い込んでしまうとか、買い込んだ自分を責めてしまうとか、かといってその買い込んだものを調節しながら食べれるかというと、ひもじい経験をした人こそわかるかと思うけど、食べれるときに食べないとみたいな気持ちになりがちで、食をコントロールできなかった自分に超自己嫌悪する。買い物がうまくできなくて警察とかきちゃった自分に絶望する。人に頭下げて都合合わせないと買い物に連れて行ってもらえないことに絶望する、など。
総じてですね…私にとって最大の敵は人生に絶望すること。
何もできなくてもいい。けど、それを気にしなくていい状態でいたい。それがベースです。
でもね、支援者って人はもし町で私を見かけたら「できるのに甘えてやらない」ってなるじゃん?もうそういう思考回路が外で沸いてくるってだけで消耗するわけですよ。頭があちちになる。
買い物や通院はともかく、例えばお皿洗いや洗濯物に関しては、その技術自体はできるといえばできる。というか精神障害の人は技術でいえばできる人も多くいるでしょう。でも私の場合やったら、確実にメンタルが崩れる。お皿を洗うことと暴れだすこと、水分もとらなくなること、どっちがいいのでしょう。私にはわかりません。治療が足りないって言われるけど、病院に行ってもやることはないですよ。
そういうしてあげる、してあげないみたいな駆け引きに疲れました。その疲れていることを思い出すのがこの土地の外を歩くということなんだなと改めて気づいちゃいました。
私にとってリカバリーとは、機能回復とは、再び歩みだすとは、やってみようかなと思う心のエネルギーをためること。少なくとも私は、エネルギーがあるときは自らの力を最大限に生かしたいと思う人です。
もっと病状をよくしてきてくれとか、皿洗い第一主義とか、困難ケース仕方ないよね慰めあい会から離れたい。順番が逆だと思う。少なくとも私に関しては、心的エネルギーがあれば、やるし、それが、病状が安定するってことなんだ。あとたまるのをまつってものでもなく、たまっては使ってって感じだけどね。完全にたまるってもんでもないし。
けど、私は立場の弱い人間なので、ここにこうして吐き出すことが精いっぱいです。