見出し画像

【5分ショートショート】サプライズ!

 宇宙生活者が覚えるべき格言のひとつが「サプライズを避けよ」であるというのは、有名な雑学的豆知識だ。地球上のマスメディアでは、厳しい宇宙空間で生き抜くための知恵である、などとまことしやかに伝えられているようだが、実態はそのようなロマンチックな由来ではない。宇宙開発の初期に定められた安全基準が受け継がれ、そのまま伝統となっただけのことである。ただ、古くからのしきたりであるかのように語られることが多いせいか、宇宙での活動が一般的となった現在においても優先度の高い規範であり、厳格に適用されているという事実は、意外に知られていない。予想外の出来事を忌避する行動指針は共同体の規則に明記され、宇宙で活動する者の胸に深く刻まれている。そしてそれは、地表と宇宙を結ぶ宇宙エレベーターにおいても例外ではない。
「申し訳ございません、お客様」
 静止軌道ステーションまで昇る旅客クライマーのコンシェルジュデスクで、パーサーは深々とお辞儀をした。
「私どもといたしましても大変心苦しいのですが、当機におきましてはいわゆる『サプライズイベント』をお引き受けすることは、規約上いたしかねるのです」
 整った身なりをしているがどこか垢抜けない男が、デスクの向こうで溜め息をついた。
「サプライズは、できないってことですか」
 客を値踏みするなんてもってのほかだが、かなり無理をして乗機してきただろうことは、所作や物腰から想像に難くない。静止軌道ステーションまでの旅は、豪華客船並みに値が張る。おそらくこの男にとっては、一生に一度あるかないかの大イベントだろう。できるかぎり希望に沿うよう尽力したいところではあるが、こればかりは応じるわけにはいかないのだ。
「はい。すでにご説明申しあげましたように、当機内で開催されるイベント等につきましては、乗員だけではなく乗客の皆さまにも事前に周知することが定められておりまして、お客さまがお望みような演出は不可能なのです」
「内緒にすることは、できないと」
 男が食いさがる。
 乗機前なら、次善の代替案を提示する余地もあったかもしれない。だが出発後のいまとなっては、規約を楯に断るしか手立てがない。
「残念ながら仰るとおりです。機内で行われる催しにつきましては、いつどこでだれがなにをどういう手順で行うのかを、あらかじめ開示しなければならない規則になっておりまして」
「そうなんですね……では――」
 男の表情の変化に、パーサーは身構えた。同様の相談はこれまでにも幾度も受けてきた。そしてこんな挑発的な表情になったあとには決まって、泣き落としや開き直りから、はてはそしりはしりや罵詈雑言まで、ありとあらゆるネガティブな反応が堰を切ったようにあふれだすのだ。
 だが男は、デスクに身を乗りだして目を輝かせた。
「誕生日の連れを祝福していただくことは、可能なんですね!」
「……ええと」
 パーサーは表情にこそ現さなかったものの、内心男に気圧されながら、聞きかえした。
「サプライズにはなりませんが、それでもかまわない、ということでしょうか」
「ええ、もちろんかまいませんとも」
 男は思わせぶりにうなずいて、つづける。
「ただひとつだけ、確認させてください。事前に周知するのは、スタッフの皆さんが、いつ、どこで、だれが、なにを、どのようにするか、だけ[#「だけ」に傍点]でいいんですよね」
 と、だけ、の部分を強調していった。
「……なるほど」
 パーサーの頭にピンと閃くものがあった。
「承知しました。詳細について、打ち合わせをしましょう」

 翌日の夜、パーサーは厨房で待機しながらメインダイニングの様子をうかがっていた。
 各テーブルにはディナーの品書きに添えて、予定されている「誕生日イベント」の次第を記したカードが配られていた。規約に定められているとおり、この場にいる全員が、祝福される当の女も含めて、これからここでスタッフがなにをするのかを把握していた。
 テーブルから最後の皿を片付けてウェイターが戻ってきた。ふたりの様子を問うパーサーに、
「男性は緊張気味でしたが、女性の方はリラックスした様子で、皆さんから誕生日を祝ってもらえるなんてと、すごく楽しみにしているようでした」
 と笑顔でこたえた。パーサーは小さくうなずくと、時刻を確かめた。
「さあ、はじめようか」
 照明が落とされる。
 ほのかな明かりの下、パーサーがパティシエ特製のホールケーキをうやうやしく掲げて厨房を出ると、計画どおりにどこからともなく手拍子が起きた。部屋のあちらこちらから制服姿のスタッフが現れてはパーサーに合流していき、ダイニング全体を巻き込むように音量を増した手拍子に合わせて、一列になってテーブルの間を縫うように歩を進め、テーブルを取り囲むように輪になっていく。
 スポットライトに照らしだされた白いカジュアルドレスの女は、いかにも楽しそうに自分でも手拍子をしている。対照的に、白いスリーピースに白靴でかっちり決めた男は、すこし硬い表情に見えた。
 パーサーが女の傍らに到着したのを合図に、テーブルを取り囲んだ全員が『ハッピーバースディ・トゥ・ユー』を歌いだしたとき――。
 突然、白スーツの男が椅子から立ちあがり、女の前に跪いた。
 差しだされた手には、きらめく指輪が。
 ダイニングルームに悲鳴のような歓声が湧きあがった。
 女は跳ねるように立ちあがり、口元を両手で覆う。
「サプライズはないって、ただの誕生日のお祝いだって……」
 男は硬い表情のまま、わずかにうなずいた。
「なんのためかは、事前に知らせる必要がなかったから」
 そして上擦った声で、
「結婚してください」
 と告白した。
 女は目尻をそっと拭うと無言でうなずき、飛びつくように男に抱きついた。
 祝福の大歓声がふたりを包みこむ。
 パーサーは満足げにうなずくと、口づけをする男女のマジパン細工で飾りつけられたケーキを、そっとテーブルに置いた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?