埼玉県議会での"母親に対する人権侵害"という野次に対する違和感
連日ニュースで騒がれていた、埼玉県のいわゆる「留守番禁止条例案」は無事に取り下げになり、ほっと胸をなでおろした。
私はあくまでも「議会のたった一部をニュースで見ただけ」であるということをはじめに断っておくが、取り下げの審議の時の野次で
「県議会は責任取れ」「県民なめるな!」という声のほかに
「母親に対する人権侵害だ」という野次があって、その言葉がとても心に引っかかってしまい、むしろ条例案の内容に対して以上にモヤモヤし始めてしまった。
なぜ「母親」限定なのか。
発言者が"保護者"とか、"親"という意味で、とくに深い意味はなく「母親」という言葉を使っているだけなのかもしれない。
深い意味はないとしても、いや深い意味がないにもかかわらず「母」と当然のように口から出てしまう発想の根底にこそ、子育てしづらい社会の本質があり、親たちを追い詰める要素があるのではないか。
買い物に行くのも、ゴミ出しをするのも、登下校に付き添うのも「母親であるはずだ」という固定観念が、父親に育児をしづらくさせ、むしろ母親の人権を侵害することに繋がるのではないだろうか。
この条例改正案に対する街頭インタビューでは、当然のように父親もインタビューに答えていた。この条例改正で困るのは必ずしも母親だけではない。
家電のCMで男性がエプロンをつけているのが白々しくなくなって久しい。
「育休」は「育業」に改められ、男性の育業取得が推奨されている。
それでも、県議会の現場でこのような野次が飛び、あまり違和感なく空気に吸い込まれてしまうのが、日本の現状なのだと思う。