見出し画像

Cold Moonに想う

昇格試験も終わり結果まちのホールド状態です。ほっとして今週末はぐったりぬくぬくの植物と化してましたが、何とかテニスをし昼寝をし、ハラリさんの人類の物語を少し読み、NETFLIXでザクラウンを通じてエリザベス女王の苦難を知り、ぼやっと過ごしてました。今、スキをつけて頂いたことがうれしく、今日の夜行性の活動から、お月様が眺められたことでの気づきを分かち合えれば幸いです。今年最後の満月が今日15日で、Cold Moonと呼ぶそうです。

最近、上弦の月と下弦の月の区別の仕方を覚えました。常識なのかもしれませんが、半世紀以上どっちかしらずにいたある日、段々丸になってきたなぁと、どっちかなぁと調べると、Dの字=じょうげん、Cの字=かげん、らしい。

月をみると、丸顔だった亡き父を想い出すのとともに、今年は、春の息子の進級の再困難で、とっても心が苦しい時期に、お声をかけて深いつながりをもたらしていただいたEさんのこと、如何おすごしかなぁと想うようになりました。

昨年度に留年した息子、今年の再スタート以降の春、授業には遅刻も欠席も昨年よりひどくなり、どういうことか分からずに、このまま退学なのかと手足が冷たくなるし、仕事が遂行できるかのプレッシャーもひどく、朝がくるのが怖い状況。なにか藁にもすがる思いで報告した元夫からのラインには、自分は分かっていた、どうしてこうなったか分かっているのか?と私の責任を問うような文に凍り付き、絶望や失望や不安がぐるぐると毎朝はじまり、手足がしびれる日々でした。おまけに離婚の手続きをすすめるために時間は割かれ、仕事も残業つづきで、イソジゴエの身には完全なキャパシティーゴエで。

そこに母と深いつながりのある旧友のお嬢様のEさんが、息子さんのことで悩んだつらい経験を通じて学んだ変化からのお心遣いで、私を心配して、お声をかけてくれたのでした。上京された際に初めてお会いしてお話し、親の会でお話している内容を教えてくれて、何か光がもたらされたような、暖かさにつつまれた気持ちになる糸口を、本当に沢山もたらしていただきました。

ひとことでいうと、その人の人生はその人のもの。私の人生は私のもので、大事にしなければならない。
子供の人生は子どものもので、私がどうにかこうにかできるものでもない。
私がワタシの時間を、変化を大事にすることは、何よりも大事なことで、多分誰の迷惑にもならないどころか、子どもやほかの人にもよいことしかないのではないか。がワタシが最近きづいた変化です。

書くと格好つけているようですが、人から、息子や娘から距離をおいて、自分の心の在り方に注意を払うということ、自分で自分の身を心を守るということ、果たしていままでしてきたかなぁと。

人の幸せやうまくいっている様子を聞いては、一人だけ犠牲をはらって置いてきぼりをくらったようで、くらくら来ていた四月でした。一生懸命、子育ても仕事もがんばったのに、夫は勝手に家族放棄でぶち切れて出奔するなか、ひとり親でも、二人とも立派に受験に立ち向かってくれて難しい学校に入学したのに、、なんで、ワタシはこんなつらい思いや多くの悩みを抱えてしまったんだろうか。。

意味不明ながんばり屋にとって、思い込みを、執着を手放すって、結構難儀です。私の場合は、学歴への執着だったかもしれません。教育ママをしたことはなく、勉強しろと言ったこともありませんでした。息子が中三の時、元夫と衝突して以降、不登校になったのにはずいぶんと悩みましたが、勝手に勉強を頑張り進学校に入り、娘も念願の大学に入れて、ああ、これで安心だと思っていたのでした。いい大学にもいけるだろうと。

しかし、初めての本格的なコースアウト。高1クライシスという言葉、ADHDって息子だけでなく私のことではとか、夫婦不仲の影響かとか、色々な自責のパニックが、週末も気が気で落ち着かず、昨年度に通い始めた心療内科の薬も効果あるのかわからず。

自分のしてきたこと、良い学校から企業につとめ、一人に近い状態で子育てしながらも、親の助けに預かりまくりつつ、設計業をまわりの人同等にはやってきて、残業でボロボロになっても、雑誌に自分の名前は省かれても、昇進しなくても、夫からひどく冷たい態度をとられても、必死に耐えて、子どものために、子どもを誇りに、頑張ってきたではないか。。。

私自身はコースから外れたことも、回り道をしたこともありませんでした。兄が病気になったので、親の期待にこたえようとした部分はあるかもしれませんが、自分で考えた道をある意味では猪突猛進し、会社にも就職できて、子どもも授かることができてという、いわゆる社会的には安定という状況。でも長い間同じ状態で過ごして、果たして本当に自分に適合していたのか。これを適応障害といっても過言ではないのだろうかという手足のしびれ。

息子の留年は確かに衝撃の一打にはなりましたが、ワタシ自身のことをふりかえる機会になりました。自分らしいということをあまり考えたこともなく、自分にYESといえるようなことを考えもせず、ただ、がむしゃらに、外れないようにやってきたような。悪口いわれないようにやってきただけのような。

段々、自立しようとしています。自分の足で自分の頭で自分の心と会話する。人の人生は人のもの。私がコントロールできるものではない。
しかし、ワタシの変化はワタシのもの。私だけにしかつくれない。私を認めるのも私だけにしかできない。そう、多分他人に認められることだけを承認の基本においていて、それが学歴というものだったのです。でもそうではないのです。人の心の痛みがわかって、自分の心をじっくり観察できることが自分の人生を生きるということの第一歩をイソジにして気づいたのではないかと。

とはいえまだまだ難儀は続きます。事実、明日も明後日も息子の進級問題は薄氷です。彼もどうしたもんだかわからず、ワタシも心配がない日はないでしょう。でも、心配だけにハイライトしないことはできます。彼もワタシもその人なりに今までがんばってきたことに変わりはありません。すごいことです。

今日の満月は、冴え冴えと澄み渡っていました。Cold Moonと呼ばれていようが、ワタシにはWarm Moon に見えたのでした。

今日も生きてめでたし。明日も生きてめでたしを胸に、Cold MoonからWarm Sun へぬくぬく布団にありつきましょう。


いいなと思ったら応援しよう!