個人競技と集団競技、その精神性のちがいを考えてみた。
テレビのバトミントンの試合を見ながら、仕事をしていました。ぼんやりと、「あぁ、桃田選手強いなぁ、イケメンだなぁ」など、かなり無駄なことを考えながら。
そうしたら、高校時代の思い出が突然よみがり、驚いた。
私は高校時代、今より50倍くらいひねくれていて、今より70倍くらい自信がなくて、今より120倍くらい人の顔を見るヤツでした。たぶん、今私が高校時代の自分に会ったら、とても好きになれないような。そんな高校生。
自分に合う環境がなかったとか、挫折してその高校に入ったからとか、厨二病の重症化とか、いろいろな理由があるだろうけれど。それはまた今度、胃がキリキリしないタイミングで振り返ってみたいと思います。
なぜ、バトミントンの試合を見ていて高校時代を思い出したか?
それは、高校当時の私が、「個人競技」か「集団競技」かで人をラベリングしていたからです。
私には未だに人をカテゴリーにはめて見ようとする傾向があります。
「0型だから、きっと私と付き合ったらうまくいくはず!」
とか
「山形県出身だから、そりゃぁいい人だよね」
とか。
根拠は、私の30数年の経験から弾き出されたパイの少ないデータだけ。こうしたラベリングというか大いなる偏見というかが、うまい方向に進む時はいい。
「わぁ! 山形出身なんだ! 私大好きだよ!!」
と、突然の好意を示されて、相手がたじろぐぐらいで特に大きな問題はないでしょう。
しかし、逆の場合は、「警戒」から入るので解きほぐすのに時間がかかってしまう。
・・・前置きが長くなってしまいました。
「個人競技」か「集団競技」かのラベリングについて話を戻します。
「個人競技」か「集団競技」得点をとった時の喜び方のちがいを見てみてください。
個人競技の場合は、相手に対してガッツポーズをするんです。
一方で、集団競技の場合は、チームメイトに向かってガッツポーズをし、お互いをねぎらい合うんです。
「このちがいが、大きく精神性にかかわってくるのではないか」と、高校生の私は分析をしていたのでした。
そういう私は、バレーボールを小学校からずっと続けていたのでベタベタの「集団競技」派。だから、個人競技の強そうな雰囲気にやや怯えていたのでした。「きっと個人競技の人は我が強いにちがいない!」と得意のラベリングをし、「ひとりで戦うなんてスゴイな・・・」とちょっと尊敬もしていた。
そんな高校時代を思い返し、今noteに書いていて、ふと手を止めた。
いや、私の方がずっと我が強いじゃないか、と。(笑)
個人競技と集団競技の精神性のちがい、あると思いますか?
もともとの性格から競技を選んでいるとか、プロになるくらい本気でやればちがいは出てくるけれどとか、いろいろな考え方があるのかもしれないけれど。もしかしたら、「個人競技」か「集団競技」で周囲の人を分析してみるとおもしろいかも?
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