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鳥籠

「我が家のインコの英語の発音が悪いから、発音がいい人を雇いたい」
 そう僕の妻がSNSに投稿している、と友達が教えてくれた。時給は二千円。アメリカ英語のネイティブスピーカーが希望らしい。
 僕は妻に本気なのかと聞いた。
「だってほら。RとLも、BとVの区別もできてないじゃん」
 妻は鳥籠の中のセキセイインコを見た。インコは首を傾げ、黙っている。妻が話しかけるとインコはやっと「デスイズ、アー」と鳴いた。
「直己の英語を毎日聞いているせいでしょ」
「オレだってRとLの区別くらいしてる。そもそも、インコには英語は難しいんでしょ。声帯が英語向きじゃないとか」
「そんなわけあるか」
 妻はYouTubeの動画を見せてきた。そのインコは顔が黄色で、胴体が黄緑色。ウチのインコと見た目は変わらない。イギリス人の飼い主が話しかけると、インコは「It’s not easy.」と答えた。次の場面。インコがコーギーに英語で話しかける。インコを見つめるコーギー。コーギーが逃げたところで動画は終わった。
「人を雇わなくても、こういう動画を見せればいいでしょ」
「キキは目の前に人がいるか、動画なのかくらい、ちゃんとわかる」と、妻はゆっくりと言った。キキというのはウチのインコの名前だ。「キキが本当の英語力、コミュニケーション能力を身につけるためには、生の英語を聞かなければいけない。そのくらいわかるよね」
 僕は妻から目を逸らし、「そうかもね」と言った。来週は妻の誕生日だと思い出した。

 次の日曜日、家にフィリピン人の英語講師が来た。カルロという、背が低いけれどハンサムな男だった。時給二千円ではネイティブは雇えなかったらしい。
 妻が僕のことを英語教師だと紹介したせいで、カルロはとても早口で話しかけてきた。ついていけず、カルロから呆れた顔をされたが、お互いにアニメが好きだとわかると打ち解けた。カルロは『かぐや様は告らせたい』が好きらしい。ミコちゃんが好きで、昨日は『かぐや様』のパチンコを打ったそうだ。
「直己はしゃべらなくていいから。カルロ、お願いね」
 僕と妻はカルロを見つめた。カルロはキキに向かって、英語で自己紹介をはじめた。フィリピン訛りはあまりない。キキが英語っぽい鳴き声を出すと、妻は満足そうに頷いた。カルロがやりにくそうなので、僕は自分の部屋に行った。
 一時間後、リビングに戻ると、疲れた顔のカルロが妻から封筒をもらっていた。二千円では割に合わないだろう。カルロが帰った後、妻は「短時間だったけど効果があった」と腕を組みながら言った。キキは「マエー、マエー」と鳴くようになった。
 一回でやめるかと思っていたけれど、カルロは次の日曜日も来た。アロハシャツを着ていたから、胸板が意外と厚いことがわかった。レッスンの間、僕は近所のブックオフに出かけた。立ち読みをしながら、妻はカルロと浮気しているかもしれないと考えていた。
 その次の週もカルロは来た。今回は妻に急用があった。妻から「カルロを見張っていてね」と言われたけれど、僕は自分の部屋でネットサーフィンをした。しばらくして、カルロの様子をのぞくと、スマホで動画を見ていた。ゲーム実況のようだ。カルロは言い訳をしたけれど、見続けていいと僕は言った。キキは止まり木で前回りした。
 カルロが音楽を流していいか聞いてきた。許可すると、クラシック音楽が流れてきた。カルロはバイオリンが弾けるらしい。今度聞きたいと言うと、カルロは喜んだ。
 カルロが僕の飲んでいるコーラを飲みたがった。コップを持ってこようとすると、カルロは僕の手からペットボトルを奪い、飲んでしまった。返されたボトルにはコーラが少ししか残っていない。僕はそれを飲み干した。
 カルロが帰った後、僕はみそ汁とピーマンの肉詰めをつくった。妻はオクラと長芋のサラダを買ってきた。サラダは酸っぱすぎたから、僕は一口で止めた。それに比べて、今日のピーマンの肉詰めは最高傑作だ。ピーマンの焼き加減も、ひき肉と玉ねぎのバランスも完璧。僕は感動したけれど、妻はおいしくなさそうに口に運んでいる。
「アイツ、どう思う」
「カルロ? いいんじゃない。今日も頑張ってたよ。それに、イケメンだし」
「顔が濃いだけでしょ」妻はティッシュで黒縁メガネを拭いた。そんなメガネをいつ買ったのだろう。
 キキは籠の中で飛び回っている。妻はメガネをかけ直し、キキを見つめてから「あんな狭い中に閉じ込められて一生を終えるなんて、キキがかわいそう」とつぶやき、僕を見た。「私たち、間違ったことをしてる気がする」
「急にどうした」
「キキを逃がして、自然の中で自由に生きてもらう」
「こういう鳥は、外じゃ生きていけないでしょ」
 カルロはピーマンの肉詰めを食べたことがあるのかなと思った。もしないなら、今度食べさせてあげたい。

英語を教えながら小説を書いています/第二回かめさま文学賞受賞/第5回私立古賀裕人文学賞🐸賞/第3回フルオブブックス文学賞エッセイ部門佳作