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オレはハゲ

 大学一年生の時、必修の簿記の授業にすごいハゲているヤツがいた。十八とか十九歳とは思えないくらいハゲていた。顔は整っていたから、髪があったらイケメンなのにと勝手に同情した。

 だから、二十三歳の時に、妹から「頭頂部が薄くなってる」と言われた時にはマジでビビった。生え際が後退していることには気づいていた。だけど、頭頂部が薄くなるのはマジでハゲではないか。

 オレはスマホで頭頂部を撮影した。ハゲていた。触ってみても、やっぱり髪が薄くなっている。

 あらゆる対策をした。湯シャン、石けんシャンプー、父がくれた怪しい塗薬、頭皮マッサージ。床屋で「薄毛が目立たない髪型にしてください」と注文したこともある。マジで。

 でも、ハゲは進んだ。

 オレはその頃、毎日頭頂部を撮影していた。自分のハゲ具合を確かめるために。自分の頭頂部を撮影するのが上手いという謎の特技を手に入れた。(冒頭の写真は制限時間一時間以内に撮りました)

 こんなのおかしいではないか、と思った。オレの父親はハゲだ。でも、ハゲはじめたのは二十代後半かららしい。オレはハゲたくなかったから、髪も染めないようにしたし、ワックスもあまり使わないようにした。だけど、誰より早くハゲた。周りの髪で遊んでいた同級生はまだ誰もハゲていないのに。

 オレは夜中に布団の中で泣いたことが何度もある。

 ここで読者の方に言っておきたいのは、安易に同情してほしくないということです。三十代とか四十代になって、散々遊んだ後で、「最近ハゲはじめちゃったよ。アハハ!」的なヤツには十代とか二十代前半からハゲている人間の気持ちはわからないと思う。

 正直、今思うと、オレは高校生の頃にはハゲはじめていた。あの頃は「オレ、おでこ広いんだよね」「お前将来絶対ハゲるだろ」的なカンジで笑いにしていたけど、実際ハゲはじめていた。小学校のアルバムを見返したら、オレのおでこは狭くて、髪がぎっしりと生えていた。でも、オレは頭がでかくなったんだと思うようにしていた。とにかく、オレが彼女いない歴=年齢なのは若ハゲのせいなんです。

 二十五歳の時に、AGA治療というものが広まりはじめた。オレは、本当に藁にも縋る気持ちで相談に行った。一年で百万円かかるけど、今日、この場で契約してくれたら七十万円にしてくれると言われた。

 オレは泣きそうになりながら契約した。この時、オレは年収百万円くらいのフリーターだった。それなのに、その場で契約してしまったということから、オレがどれだけ追い詰められていたかが伝わると思う。この文章を書きながら、また泣きそうになっている。

 いろいろな薬をもらって、よくわからない注射を頭皮に刺された。薬を飲んでみると、二週間くらいで髪が生えてきた。

 だけど、副作用があった。フィナステリドの副作用で勃起しなくなった。彼女が欲しいから髪が欲しいのに、勃たなくなったら意味がない、と思った。ミノキシジルの内服薬のせいで体調が悪くなった気がした。元々が血圧を下げる薬だから、低血圧の僕には合っていなかったのかもしれない。でも、今思えばこれはメンタル的な問題だった気がする。ミノキシジルのスプレーについても、頭皮がかぶれる、ニキビができるという副作用が出た。

 オレはこのままAGA治療を続けていいのだろうか。健康にも良くなさそうだし、金もかかる。そんな時に、街にいる、電車にいる、坊主が急に気になるようになった。坊主からの使者だと思った。ネットで「坊主にしてよかった」と「坊主 後悔」的な記事をずっと見ていた。あの一か月間は狂ったように悩んだ。結局、坊主にすることに決めたのは、もう悩むのが辛くなって、楽になりたかったからです。

 いつもの床屋で「坊主にしてください」と頼んだ。いつもは無口な店長が「いいんですか」と聞いてきた。僕は涙目になりながら「はい」と答えた。バリカンで僕の髪の毛が落とされていく。オレは生まれてから二十五年間髪のある人生を歩んできた。髪は僕の一部だった。それを失い、鏡の中にいる自分の姿を見た時、これは誰なんだろうと思った。外に出ると、まだ十月だったのに、風が冷たかった。髪には防風効果があるとその時に知った。

 オレは人生を変える、新しい自分になるんだという強い決意で坊主にしたのに、家族や、友達や、職場でも、「まあ、似合ってるんじゃない」的な薄い反応しかなかった。

 まあ、そんなもんか。これから髪のことなんて気にせずに生きよう。

 嘘です。

 オレは坊主にしてからも、ハゲのことを気にしていた。その証拠に、リアップ的なミノキシジルの塗り薬は使い続けた。ニナゾールシャンプーというハゲの進行を止めるらしいシャンプーを、わざわざオオサカ堂という個人輸入サイトから買い続けた。頭皮が荒れて、ニキビができるとわかっていても、使い続けた。

 もう、髪が生えることを望んではいなかった。ハゲるのが怖かった。とにかく怖い。この文章を書いている今も怖いです。

 みなさんに覚えておいてほしいのは、髪がある坊主とハゲの坊主は違う、ということです。これはもう全然違う。オレは髪がある坊主でいたい。

 でも、三十歳の時に、ミノキシジルを使うのもやめた。頭皮が荒れているのが見苦しいと、自分でも思った。ニナゾールシャンプーもやめた。頭皮はすぐにきれいになった。きれいな坊主になった。これでよかったと思う。だけど、これからは髪が抜けていくのを食い止められないと思うと悲しいです。

 リアップをやめてから一年が経った。以前よりはハゲのことを気にしなくなった。僕は幸せになったと思っていた。

 そんなある日、事件が起こった。

 近所を歩いていると、突然クラクションがなり、バイクに乗った男が「禿げ!」と叫び、通り過ぎて行った。僕は思わず周りを見た。近くにハゲがいると思ったからだ。だけど道には僕しかいなかった。だんだんと悲しみが沸き上がってきた。これは魂の通り魔だ。逮捕して、永遠に刑務所にアイツを入れるべきだ。政治家は何をやっているんだ。ハゲが多いのに。

 同時に懺悔したいことがあります。僕も中学生の時、音楽のK先生を「禿げ」とからかっていました。これは本当に人としてやってはいけないことだったと思います。すいませんでした。

 小学生のうちに、ハゲを差別することはいけないと徹底的に叩き込むべきではないか。道徳の時間や、保健体育の時間にこういうことを教えるべきだと思う。オレは英語講師だけど、小学生に英語の授業なんていらないから、その分ハゲについての授業を増やしてほしい。人を見た目で差別してはいけない。そうだろ。教育関係のみなさん、よろしくお願いします。

 バイク事件の後、僕はAGAのオンライン診療のことを知った。あの頃に比べて、AGA治療は安く、手軽になったようだ。結局、やらないことにしたけれど、しばらくネット広告がAGA治療だらけになってしまったのでムカついた。いや、これは自業自得だからまだいい。最近は電車の中吊り広告がAGA治療だらけなのは何なんだ。あれはハゲハラスメントだ。横浜駅なんて構内にアンガールズ田中のAGAオンライン診療の広告が貼られてたぞ。菅義偉。お前の地元だ。どうにかしろ。

 それと、ヒゲ脱毛の広告が多い。じゃあ、やってみるかと、僕は最近、ヒゲ脱毛をしています。これは、もてたいとかじゃなくて、肌が弱いのでヒゲを剃る時に荒れるからです。

 問題なのは、AGA治療をやっていないヒゲ脱毛を探して、メンズエミ〇ルを選んだのに、最近AGA治療をはじめやがったことです。昨日(12月5日)に行ったのですけど、受付前にAGA治療のポスターがあって、精神的打撃を受けた。診察券を渡すときに、「お前はヒゲ脱毛じゃなくてAGA治療だろ」という視線を感じた。思い込みじゃないです。問診票と一緒に、アンケート用紙も渡された。アンケートには「最近、薄毛に悩んでいる」という項目があった。手が止まった。僕は「いいえ」に〇をつけた。これ以上AGA治療に踊らされるわけにはいかない。そう決意を新たにした。

最後に
「こうしたら髪は生えますよ」とか「抜け毛が止まりますよ」的なコメントはいらないです。そういうコメントをした人とは縁を切ります。佐藤相平よりハゲと向き合ったという自信がある人だけが、アドバイスをする資格があります。


*この作品は第7回私立古賀裕人文学祭に参加した作品です。
(ルール:1時間以内に書く。テーマは「ダンスをご覧ください」)

追記:最優秀古賀賞と🎅賞(最多得票賞)をW受賞しました。


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佐藤相平
英語を教えながら小説を書いています/第二回かめさま文学賞受賞/第5回私立古賀裕人文学賞🐸賞/第3回フルオブブックス文学賞エッセイ部門佳作