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笑顔で、またね。
いまから3年前(2017年8月15日)に書いたFacebookの記事をみつけたので、noteに転載することにしました。
僕は様々なものごとに対して、守破離を意識することが多くて。
守破離とは
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。 ― コトバンク
5年間移動する生活を送っていて、自身の成長と共に都度発信をしてきたけれど、こと移動生活においては『離』に向かう人の母数って全然多くないと思っていて。
なので、『離』の観点から発信しても、全然伝わらないというか、求められていないというか…笑 なんかそんな風に感じながらも、自身の心境の変化を発信してきました。
で、いまは普通にサラリーマンをしているわけだけど、自身の成長の過程にある『守』や『破』の時の発信って、たとえば10代の自分を振り返るような、葛藤や悩みが常について回っていて。こういう時の言葉の方が、誰かのなにかになり得るんじゃないのかな…とか思うようになりました。
僕は現在や未来に興味がある人間で、過去のことって『どうでもいい』とまではいかないけど、今の僕とは切り離して考えてしまいがちなので、僕のなかでは関心が薄れていくのだけど、『過去の僕』に興味を持ってくれる人もいるようなので、こうやって振り返る機会を増やせたらなと思っています。
『守・破 のときの過去の発信』をシェアするような時間を作っていきます。
(前置きが長くなったけど、自分らしく伝えられた)
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「旅人はいずれいなくなる。」
旅人はいなくなる。
…いなくなる を受け入れること。
どうせいなくなるから関わらない…ではなく、いなくなるからこそ、共に過ごせる時間を大切にし、離れても関われる関係性を築く…みたいな思考で、繋がっていけたら。
残る人は残りたいだけ残ればいいし、動きたい人は動きたいタイミングで動ければいい。それを否定しないこと。
旅人の日常のような その概念を 町 や 人間関係 にも反映出来たら、きっともっと循環や流動を肯定的に考えられるんじゃないかなと思うわけです。
離れることは決してネガティブなことじゃないはずなのに、離れること→失うこと→マイナスである と考えてしまうと、離れない(手放さない)ようにしたり、離れること(手放すこと)を恐れ 執着してしまう。
托鉢をしながら各地を旅した行脚僧(修行僧)みたいに、各地を転々としながら出逢いと別れを繰り返す生活をしばししていると、禅的な思考に繋がることが多い。
「どうせいなくなるから関わらない…ではなく、いなくなるからこそ、共に過ごせる時間を大切にし、離れても関われる関係性を築く…」
旅人の持つ思考は、人生のそれにも通ずる部分を僕は感じていて、【出逢いは別れの始まりであること】を理解し始めると、執着する心は薄れ、今に集中するようになる気がする。
別れが辛いから出逢わない…、離れることが許容出来ない…という思考は、この世に生を受けた人間としてあまりにもったいないと思うのです。
生きることがそれだと思うからです。
そして、「また逢おう」でいいと思うのです。
未来は誰にも分からないし、鎖で繋ぎ合う関係なんて不自然・不自由で息苦しいと思うから。
魂の行き先なんて分からないし、
来来来世で逢うかもしれないしね。
何があったわけじゃないんだけど、
頭の中にあることを書き出してみました。
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本当に何かあったわけじゃなかったと思うんだけど、いつも空想したり妄想したりする人間なので、きっと想うことがあったのだと思います。
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