satoshi takamura

映像編集者。たまにディレクション・撮影も。 見た映画の感想などを書いていこうと思います。

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最近の記事

「ノースマン 導かれし復讐者」(ロバート・エガース、2022)

来年の公開に先駆けて、東京国際映画祭で見てきた。 副題と予告編から察するに、「ライトハウス」(2021)の偏執的異様さと、「復讐」劇というある種シンプルなプロットがどう合わさるのかということを想像(期待)していたが、おそらくそう想像していたからこそ、むしろ割と王道な作りであったように感じた。 平たく言えば、「ライトハウス」より数段"わかりやすく"なっていた。 今作の製作はフォーカス・フィーチャーズ(≒ユニバーサル・ピクチャーズ)(海外配給はユニバーサル・ピクチャーズ)であ

    • 「帰らない日曜日」(エヴァ・ユッソン、2021)における木の揺れについて

      「帰らない日曜日」は、恋愛映画というよりも恋愛が物書き(職業)の材料に収斂されていくという意味である種現代的な映画、フェミニズム的な映画と言えるかもしれない。 この映画は、恋愛が「目的」に終わらず、「手段」へ転じていく様を断片的に、かつ反復的に見せた映画である。 冒頭の馬の話は、ポール・シェリンガムの子供の頃の話である。その話の時にスクリーンに映る光景は、ポールの"回想"に他ならない。つまり事実である。馬の頭と胴体を母が、足4本のうち3本をそれぞれ3人の子供が分け取った、残

      • 「クルエラ」(クレイグ・ギレスピー、2021)

        面白かった。 今の若い人たちがこの映画を見た時、言いたいことを言う的な、やりたいことをやる的な、自己実現が容易化してきた分あとは自分がやるかやらないかに掛かってきた、というある種の”現代的課題”をクルエラが体現してのけているのを目撃して、普通にカッコいいと思えるだろうなと思った。 単純に殴るとか殺すとか、”実際に手が出る”やり方ではなく、ファッションやデザインで争うというそのプロットが良い。ディズニー的と言えばそうなのかもしれないが。 ファッション、デザインで立ち向かうプ

        • 「スワロウ」(カーロ・ミラベラ=デイヴィス、2019)

          この映画の主人公は”自由”である、あるいは”自由”であろうとしている。 「異物を飲み込む」という行為自体は、当然、医学的にも生物学的にも許されたものではないという指摘や、抑圧されている現状への抵抗という、彼女自身が置かれた境遇を寓意的に表したものなのだといった指摘を承知の上で、「異食症」=既成概念からの解放=自由に繋がるものとしての、「映画的自由」としての異食症が描かれていたのだということを推してみたい。 つまり、「食べ物ではないモノを飲み込んでしまった主人公は、”映画的に

          「集中力」について

          ネトフリ、アマプラ、Youtube、テレビ、と色んなメディアの選択肢がある中で、なかなかネトフリに食指が動かない。洗練された何がしかのコンテンツを、アタマからケツまで、一切目をそらさずに見きれる自信がないのだ。 世の中には、アタマからケツまで一切目をそらすべきでない映像コンテンツと、別に目をそらしてもかまわない映像コンテンツがある、と思う。前者は映像そのもので勝負しているコンテンツで、後者は映像以外の要素でも勝負しているコンテンツであると思う。前者の極地は映画や実験映像であ

          「集中力」について

          「VIDEOPHOBIA」(宮崎大祐、2020)

          主人公は、リベンジポルノを皮切りに街中の監視カメラやスマホのカメラに恐怖するようになる。しかしそれは一体、何に恐怖しているのか。 仮にそれが、「自分の正体が晒されるから」という答えであった場合における「自分の正体」とは何か。 主人公は「自分の正体」を気にしているだろうか。おそらく気にしていないだろう。むしろ、「自分の正体」などわかっていないだろう。 演劇のワークショップのシーンで、講師は「それは本当の自分じゃない」「自分の対極を出してみろ」といったことを言う。それはまるで

          「VIDEOPHOBIA」(宮崎大祐、2020)

          「聖なる犯罪者」(ヤン・コマサ、2019)

          今年の映画初め。 新宿武蔵野館。何年ぶりだろうか。 密回避のためか、待合所の座席がたくさんあって(ディスタンス確保のため一席ずつの空き)、宣伝ポップや宣伝記事や予告の映像がガヤガヤしていて、記憶していた武蔵野館よりも”昔ながらの映画館”感が増していた。 意図的にそうしているのか。 「聖なる犯罪者」。 司祭版西部劇。 主人公とヒロインが初めて会話するシーンでのやりとり。 「どこから来たの?」 「どこから来たかは重要じゃない。重要なのはどこへ向かうかだ」 これは、西部劇にお

          「聖なる犯罪者」(ヤン・コマサ、2019)