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「お疲れさま」って訳せない?:日本のあるある話②

日本特有のあるある話で世界にマウントとるシリーズ。

「お疲れさま」

今でも多用されるこのコトバが何気にすごいって話。

「お疲れさま」を英語にひと言直訳すると

“Thank you for your hard work.”
“Great work!”
“Good job!”
“Well done!”

えー、まじですか? なにか足りない。。。 

もっとニュアンスを伝えようとするとこうなる。

例えば、仕事を終えて飲み会に現れた友達に、「お疲れ〜」という場合。

“Hey, I am glad you finally made it, you must be so tired, but I really respect and honor that you work so hard.”
(おーやっと来れたねぇ!遅くまで大変だったね、まじで尊敬!)

ねぎらい、敬意、感謝、賞賛がブレンドされている感じを出そうとすると、英訳のコトバ数が増えて大変になってくる。

このコトバは、こんなにいろんな気持ちが詰まった万能ナイフだったんだと最近になってつくづく思う。

さらに、このコトバは、結果よりも過程を大切にする。

どこかで聞いた、いや、今でもよく聞く教訓だ。

例えば、競争や成否にこだわらない、ということ。

日本では、負けても、勝っても、失敗しても、成功しても、「お疲れさま」でOK.

アメリカでも、プロセスが大切(”process over outcome”)とはいうものの、ちょうどいいコトバが見当たらない。

つい先日も、15歳の息子のサッカー負け試合の後に、この感覚をはっきりと感じた。

ゆきちゃん(妻です)が、「負け試合で落ち込んでる選手たちに”Good work!”て言っていいの?」と素朴な質問。

流石に”Good”はないなと思って、周りにいるいろんな国の文化を背負った親たちの様子を見てみたけど、やはりひと言のコトバはなかったようだ。「今日はよく頑張ったけど、残念だったねぇ」みたいな、ハギレの悪い会話になる。

あらためて、「お疲れ」の一言で、「本当によく頑張った、努力は美しい」という思いが伝わる日本の文化に感謝し、感動した。

一説には、「お疲れさま」の由来は古代農耕社会まで遡るというのがある。

「古代の日本では、農作業が重要な生業であり、一日の労働が終わった際には「疲れ様」と声を掛け合い、労働を共にした仲間に対して敬意を示す意味で使われていたとされています。」(CHAT GPT引用)

僕個人としては、この説を信じたい。

農耕時代、弥生時代、となると、「古い」なんてもんじゃない、紀元前数百年頃からの話だ。

洪水で畑が台無しになっても「お疲れさま」。
豊作の年にも「お疲れさま」。
年貢が納められなくて途方に来れても「お疲れさま」。
合戦に駆り出されてボロボロになろうが、勝ち星を上げようが「お疲れさま」。
などなど。。。延々と「お疲れさま」の深み・味わいが熟成されてきた。

少なくとも2000年以上かけて、我々は「お疲れ〜」って言い合ってきたことを想像すると、涙が出そうになる。

英語圏で認識される日本のコトバに、Samurai, Sushi, Sake, Karaoke, Origami, Manga, Zen, Haiku, などがあり、最近はRamenが市民権を得た。

この中に、Otsukare-Samaが登場する気がするのは、僕だけだろうか?

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