日本のあるある話:満員電車も仕方ない
前回思いついた、連載ネタ。
『日本でよくある思考と行動パターンが、もっと世界で認められてもいいんじゃない?』
ふと思いついたよくある思考パターンは、「仕方ない」ってやつ。
僕は大阪生まれなので、「しゃーないなぁ」と声に出すと、俄然深みがます。
「めっちゃイヤなんやけど、ほかにどーしょーもないやん」という思い。
例えば、日本各地でギューギュー詰めの満員電車に乗る人たちは、この思いが強いはず。
大阪で育った僕は、高校の通学時には、すでにこの満員電車を「あたりまえ」としていた。
どうしても遅刻したくないので、物理的には乗れるはずもない電車に入り込む。
そんな僕たちを、後ろから電車に押し込んで応援する駅員さん達もいる。
こんな半狂乱な日常を、何もなかったように日々「やり過ごしている人」が、日本にはたくさんいる。
この、満員電車現象は、特定の地域の人口率と交通手段の充実度に左右されるので、別に、日本でしかみられないことではないはず。
ちょうどいい比較という意味で、ハンパない人口率と、あみの目のような地下鉄・バス経路を持つニューヨークを考えてみよう。
僕は実際、コロナ前までは、NY地下鉄Eラインでポートオーソリティからダウンタウンまで通勤していた。
毎日ではないにしろ、結構隣の人とピッタリくっつくほどの混み具合にはなることはよくあった。
それが嫌で、僕は出勤時間を超早めにしたぐらいだから、今でも鮮明に覚えている。
僕が覚えているのは、ニューヨークに住んでる人は、結構日本人ぽい(遅刻に敏感だ)なぁ、でも、おしくらまんじゅうをしてまでは乗車しようとはしないな、という印象。
ここで、僕が注目したいのは、日本の人が持つ、乗れるはずのない電車に入り込むエネルギーの源となる、「仕方ない」感。
東京も、ニューヨークも、同じように仕事・勉強バリバリの「お忙しい」人が沢山いて、ラッシュアワーには電車は満員となる。
ここで生じる違いは、この場面で日本の人が発揮する「我慢する」エネルギー。
満員電車の例では、目標達成のためには、鮨詰めになってもいい、「仕方ない」と割り切れること。
最近はやりの言葉で言うと、この「我慢する」は、グリット(やり抜く力)に直結する。
さらに、たくさんの「仕方ない」が浮かんでくる。
めちゃくちゃ眠いけど子供の弁当がある、仕方ない、起きるか。
週末は休みたいけど、期日に間に合わなさそうなので、仕方ない、土曜も出勤するか。
このアイデアには納得できないが、そう悪くもない、仕方ない、賛成するか。
うるさくても年配の人は敬うべし、仕方ない、言うこと聞くか。
みたい映画があるけど、来週テストだから、仕方ない、勉強するか。
この夏のサッカー大会で勝つって決めたから、仕方ない、今日も筋トレするか。
働きすぎ、忙しすぎ、我慢しすぎ、などはストレス・健康の面では、気をつけないといけないのはわかる。
ただ、この「仕方ない」の思いが、日本の恐るべきパワー、優位性の源となっているのは間違いないことを、あらためて言いたかった。
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