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AI時代に人の価値はなんだろう?
前のnoteの最後に「問題提起」「課題設定」は人のほうが得意そう・やるべき と書いたのですが、
https://note.com/satoshimuc/n/na95a35e8e546
いつかはAIでもできるのかもしれないなーと思ったり。
もしそうなったら人の価値はどこで発揮できるのだろう。
わたし「将棋」が好きで、小学校の頃から新聞の棋譜読んだり、NHK杯を見たり、いまも将棋ウォーズやったり、AbemaTVで見たりしています。
将棋界では、もう10年ほど前に「第3回将棋電王戦」という大会があり、プロ棋士が5人中4人が負けてしまい、人よりもAIが強いです。
いま、AbemaTVをはじめてとして、将棋中継では、AIによる「評価値 = 勝つ確率のようなもの」と「最善手」が表示されることが多いです。
プロ棋士といえども、AIが提示する「最善手」を指し続けることができず、評価値上で逆転することが、局終盤になると頻繁に起こり、ファンは「評価値ジェットコースター」なんて言って見ているわけです。
わたしなんて足元にも及ばないような天才の集まりのプロ棋士の人ですら「AIが提示する最善手」から見たら、「ミス」をするわけなのですが、だからといってその対局・指し手・棋士の価値が下がるわけではなく、AI同士の対局よりも一喜一憂しながら観戦している。むしろ、「ミスをする」「間違える」からこそ盛り上がる。
人の価値はこの「不完全性」じゃないかなー。
将棋に関わらず、人はそのときの感情や体調やいままで積み重ねた経験や育った環境、さまざまな要因からミスをし、間違える。
局面だけと捉えて常に最適な正解だけを出すAI とこの部分が大きく異なり、人の心を掴む・捉えるのは、完全なAIじゃなくて、不完全な人なのでは。
将棋関連で、、、
将棋は、王様を詰ませるゲームですが、対局においては負けたほうが「負けました」といってはじめて勝負が終わります。
どのタイミングで「負けました」というかは対局者次第なわけです。
AIが対局すると王様が詰まさせるまで指し続けるわけですが、棋士の先生の場合はそのまえに「投了」=「負けました」ということがあります。
それは、「きれいな棋譜の残す美意識」からと言われています。
羽生先生も「きれいな棋譜の残すのはAIにはできない」とおっしゃっていました。
「美意識」「感性」というものも人だけが持ちうる独特のものなんだろうか。