Satoshi Honjo
Satoshi Honjoのハードテクノ振り返り2003年から2017年まで
これまでパーティをやったことがなかった引きこもりDJこと自分がパーティを仕切ったりしたものですから、最初のうちは何となく盛り上がるのですが、回を重ねるごとにうまくいかなくなり、2008年の3月に始まったAdrenalineも中野のHeavy Sickで何回かやった後に撤退して、やる人たちも変わっていったりした記憶。当時色々とお世話になった皆様ありがとうございました。 去る人あれば来る人ありみたいな感じで色々なつながりができ始めるのもこの時期でした。 2008年に始め
そういうわけで、俺たちで何かやろうぜ、ってなわけで、パーティを始める準備をしていくわけですが、はじめるにあたり、ハードな音楽特有の 「暗さ」の排除 「ドラッグの匂いを感じさせない」 この辺をコンセプトに据えて進めました。の割にイベント名の原案はSTEROID とかで早速却下になったりして。ダメだろ、それっていうw そりゃそうだ。なんか筋肉増強してそうなイメージあったんですよね。なんでかなw Adrenalineの名前を考えついたのは弟で、2007年当時二人ともロ
Kurocherの後、東京でもちらほらこう言う音楽をかけるDJが出て来て、ものすごい小さな「シュランツブーム」的なものが起こりました。私のようにテクノ方面から来る人アシッドテクノ方面から来る人トランス方面から来る人などなどがこういう音楽をかけるようになって盛り上がりを見せ出します。 そんな中、何と言っても日本で一番最初にこう言う音楽を専門にしたパーティを始めたのはKeniさん率いる IMPACTと言うパーティでした。確か2006年か2007年の初めだったか、もしかしたら
そんなこんなで2006年、Wire06にFelix Krocherがラインナップされた時、こう言う音楽聞いていた人は多分、え?何でKrocher?って思ったと思うんですよね。 私は思いました。 確かに色々なリリースやらMIX CDやら出ていたけど、当時はAbstract 界隈の人たち(Robert Natsus, Arkus P, Frank Kvitta, Mario Ranieri, Boris S, Vipper XXL, Kaoz, Eweなど)が各国
2008年にAdrenalineを始めるわけですが、ここに至るまでは約5年くらいあります。 元々、北海道にいてジャンル的にはハードコア寄りの音楽を作っていました。当時二人組のユニットをやっていて一緒に作っている人が東京にいたのもあって2003年に大学卒業と同時に上京。ありがちな「若者夢を追って東京へ」のスタイル。 一緒にやっていた人がその頃ハードコア系からテクノ、ハウスに興味を持ち出していて、テクノをやろうなんていう話しをしていた時、その人がLove par
2008年からAdrenaline というハードテクノ/ シュランツをメインとしたパーティを約10年やっていました。海外からも何組かDJを呼びました。海外でもDJをしました。いろいろな方のご尽力でDommuneにも二度ほど出させていただきました。曲もリリースしました。このジャンルではある程度の貢献ができたのではないかと思います。 自分の好みが変わってきたり、自分の好きなDJたちが年齢と共に徐々に他のジャンルにシフトしていったと言うのもあって、2018年頃からこのジャンルは
Adrenaline TV Season 0 Episode 1
ハードテクノ/シュランツパーティ"Adrenaline"のオーガナイザー兼DJ、トラックメイカー。海外レーベル、また自身のレーベルからもコンスタントなリリースを重ねており、これまでCause records(PETDuo), Friendly Fire(Arkus P.), Bullshit(Frank Kvitta),Rgae and Error(Stephan Strube), Killaz(Torsten Kanzler)などといったトッププレイヤー達のレーベルからリリ