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エドゥアール・マネ / メトロポリタン美術館
学習において、「効率」よりも「継続」を優先するべき理由
勉強法に関する研究では、ある方法が別の方法よりも効率的であると示されることがよくあります。例えば、外国語学習においては、黙読よりも音読のほうが定着しやすいとされることがあります。しかし、こうした研究結果は参考にはなるものの、万能ではないと考えます。
なぜなら、実験の場では「いつ」「どこで」「何を」「どれくらい」行うかが明確に設定されています。しかし、実生活においては、各人が自分で勉強の環境を整えなければなりません。例えば、実験では「この文章を黙読してください」「この文章を音読してください」と条件を統一した上で、学習の定着度を比較します。その結果、音読のほうが優れていると結論づけられることがあります。
しかし、社会人が勉強する場面を考えたとき、同じような条件で学習を進めることは現実的ではありません。例えば、通勤電車の中では音読が難しく、黙読しかできない場合もあります。では、音読のほうが効率的だからといって、わざわざ会社の休憩時間に外に出て音読をするかといえば、多くの人にとってそれは続かないでしょう。そのため、多少効率が劣るとしても、電車の中で黙読を続けるほうが学習の総量は増えるはずです。
短期間で成果を出さなければならない場面では、効率の良い方法を選ぶことが有効かもしれません。しかし、生涯にわたって学習を続けることを考えるなら、効率よりも「どれだけ継続できるか」を優先すべきだと思います。
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