母語以外を学ぶ実用的な価値
数年前までは、機械翻訳の発展とともに、人間が母語以外を学ぶ実用的な価値は薄れていくと考えていた。
それゆえ、言語学習のモチベーションは下がっていた。
ただ、外国語(特に現代においては英語)ができると、そもそも接する情報自体が変わること、そして、使用言語によって、考え方にも影響を及ぼすことを確信した。
それ以降はモチベーション高く英語に接するようにしている。
特にここ2年くらいは熱心に取り組んでいる。
個人的に、外国語学習における「臨界期仮説」は信じていない。
確かに統計的な相関はあるかもしれないが、必ずしも一個人に当てはまるものではない。
例外的なモチベーションで、例外的な量をこなしていけば、例外的な結果がもたらされるに違いないと思っている。
おそらく誤解の元となるのは、発音だと思う。
発声には筋肉の運動が伴う。声帯付近および顔面の筋肉を動かすことになる。確かに筋肉の運動は、加齢とともに制約を受け得る。
よって、母語に引きずられた発音、いわゆる「アクセント」が残る。
しかし、言語の理解自体は脳内の現象である。脳の神経細胞の可塑性を考えるに、何歳からでも、いくらでも変化し得るはずである。
「英語を理解できない状態」から、「英語を理解できる状態」へ、連続的に接続可能だと思っている。
また、ネイティブの発音を信仰する必要はなく、むしろ発言内容こそが重要だと思う。
グローバル化が進めば進むほど、ローカルの情報が価値を持つと思う。
日本で生まれ育ったからこそ、グローバルな文脈の中で、特異的な価値を生み出すこともできるかもしれない。
自分の知見を広げ、そしてそれを生かすためにも、英語学習は今後も続けていこうと思う。
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