表現と言語化について思ったこと
こんにちは。
写真で何か作ってるsatoshiです。
今、ペルセウス流星群を求めて車で6時間移動中です。
お盆なので激混みで死んでます。
さて本題
最近思ったんですが、
写真を学ぶときに、
(視覚芸術全般かも?)
言語化して学ぶってメリットの側面ばかりではないなぁと。
言語化って、
イメージや思考、感情を
ある程度切り取って輪郭を浮かび上がらせてる
ような行為と思っていて、
そうすると、どうしても言葉にできない切れ端とか、
再現できなかったグラデーションの部分とかが発生するだろうなと。
クッキー生地を型でくり抜いてるイメージですかね笑
で、その生地の余り、くり抜けなかった部分や、表せなかった存在を忘れてしまうって事があるなぁと。
言語化してくり抜いた部分は覚えていて、しっかりと応用まで効くものの、
はて、残りはどこにいった??
とかなったりしそうだなーと。
例えば写真でいうと
言語化で8割くらいは再現できて、
残り2割は言語化できない部分
みたいなイメージがあります。(いまんとこ)
8割くらい学べるんだしめちゃくちゃいい方法だと思います。
僕も好きです。
ただデメリットに関してはあんまり考えて来なかったなーと。
みなさんはどうでしょうか。
そろそろ渋滞と日差しで腿が焼けそうです。
ではまた。