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【雑談】土鬼(ドルク)の科学者たちと生成AI

昨今の生成AIについての話を見聞きしていて、『風の谷のナウシカ』を思い出すことがあります。
土鬼(ドルク)の科学者たちが、大発見だとか自分の計算通りに粘菌が育ったとか大はしゃぎして、それを見たチャルカが不愉快になるシーンです。

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世の中にデジタルコンピュータが広まって以降、いろんな人がいろんなソフトウェア、いろんなシステムを創り出して来た。良い物にしろ、悪い物にしろ。
だから、新しいAIが登場したことを不思議とは思わないが、創り出した人たちも、そのAIをすごいと は 思う。

AIをつくっているとき、完成したとき、彼らはどんな気分だったのだろうか?

自分が今より若いころ、初めて“コンピュータに触れて”(直接扱って という意味です)、同年代の友人とともにプログラミングに熱中していた時期を思い出す。私は誰にも教えられずに「サブルーチン」の考えにたどり着いたし、友人は「自分自身を進化させるプログラム」の可能性に気づいた。
一介の学生だった私たちですらこうだったのだから、“コンピュータの世界”、“コンピュータの可能性”にとりつかれ熱中し、いろいろな使い方を思いついた人は世に多かったのだろう。

私は、生成AIを創り出した人たちも、新しい物を創り出すことに熱中していたのだろうと想像する。当人たちは楽しかっただろう。しかし、その姿は土鬼(ドルク)の科学者たちと似ていたのではないか?

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生成AIについて聞く話の殆どは、生成AIが起こしている社会問題のニュースばかりだ。つくった人たちはこうなることを予見しなかったのだろうか?
新しいAIを創り出すような人たちだ。予見*できなかった*とは思えない。しかし、新しい物をつくったことを単純に喜んで、後先考えずに世の中に送りだしたのではないか。
その点が、「土鬼(ドルク)の科学者たちと同じだ」と感じられるのだ。

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世の中は、悪いことばかり『ナウシカ』の世界に近づいています。
プラスチック問題は止まらないから、「海の恩恵からも見放されて」しまう時はゆっくり近づいています。
加えて、“土鬼(ドルク)の科学者たち”が悪い物をつくっているように感じるのですが、果たして気のせいでしょうか。
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