押すべからず
(あらすじ)
ある会社に泥棒が忍び込み金庫を開けるが、そこには意外なものがあり……
「関係者以外立ち入り禁止」、か。こういうところにこそ用があるんだな、オレは。この程度の鍵、チョチョイのチョイっと。
次は「特別メンバー専用」、ね。オレもある意味特別だよ。ここは、この合鍵で……おじゃまします。
なに、警報装置作動中? おあいにく様。そんなものは、とっくに無効化してある。
この通路をまっすぐ進み、ここで左に折れて、次を右。そして、この部屋のどこかに──あった。隠し金庫だ。
なかなか手ごわそうだが、開けられるさ。オレ様は金庫破りのあざやかさで、怪盗と呼ばれているんだ。
さあ、勝負だ!
(四十五分経過)
ふぃー、やっと開いた。お宝ゲット。金庫を元通りに閉じて、おさらばだ。
おや? この机、なにか変だぞ……やっぱり! ここにも金庫がある。何を隠しているんだ? とにかく開けてみるか。
……小さな赤い箱がひとつと、黒い箱がひとつ。赤い箱の中は──ヒュウ、大粒のダイヤだ。
黒い箱の中は──え。押しボタンスイッチ?
何か書いてあるぞ。
「押すべからず」。
このボタンを押すなということか。押したら何がおこるんだろうねえ。何だか知らないけど、金庫の持ち主がとても困ることに違いない。たしかめてやれ──。
(泥棒、人差し指でボタンを押そうとするが、すぐに手を引っ込める)
いやいや、余計なことをして騒ぎになってはいけない。目的は達成したんだ。このままそっと引き上げるに限る。
それにしても何のスイッチだ? なんで、わざわざこんな場所に隠しておくんだ? ダイヤといっしょに隠すくらいだ、とても重要なものに違いない。ここはひとつ、押してみて……
(再び指を伸ばすが、その手をピタッと止める)
馬鹿なことを考えるんじゃないぞ、オレ。このまま引き上げれば大成功なんだ。さっさと帰って、勝利の美酒に酔いしれるんだ。
しかし、「押すな」と書かれているのを見て、はいそうですかと素通りするなんて、怪盗の名折れじゃないか。
いやいや、欲をかいて自ら墓穴を掘った奴らを思い出せ。このまま引き上げるんだ。
だがしかし──。
逡巡をつづけている間に泥棒は警備員に見つかり、あっさり御用になった。夜明け前のことである。
「それでは無くなったものはないのですね。」若い刑事が社長に訊いた。
「ああ、刑事さん。壁の金庫から盗まれたものは、全部、泥棒のカバンの中にあったよ。机の金庫からは、まだ何も盗られとらんかった。」大会社の社長は重々しい口調でこたえた。「奴はあの部屋から一歩も出なかったようじゃの。」
「それはこちらで調べます。それにしても泥棒は机の金庫の前で何をしていたのでしょうね。」
「さての。あの中のものが泥棒にとって価値があるとは思えんのじゃが。」
「警備員の話では、押しボタンに指を伸ばしたまま、何かブツブツ言っていたそうです。」
刑事は明らかに事態を怪しんでいた。彼は社長に鋭い目を向け訊いた。
「単刀直入にうかがいます。黒い箱の中の押しボタン。あれは一体何ですか?」
社長は刑事の真剣な顔を見て吹き出した。
「何って、小学生の孫の工作じゃよ。」
「お孫さんの……工作?」
「押しボタンなのに〝押すな〟って書いてあるの、笑えるじゃろ。面白いねと言ったら、その子がくれたんじゃよ。そうしたら妹が、あたしはこれをあげると言って、おもちゃの宝石をくれての。うれしかったから、二つともあそこへしまっておいたんじゃ。」
刑事は口をあんぐりと開けていた。
「わしにとっては価値のある物じゃが、泥棒の奴、どうして見とれていたんじゃろ?」
(おわり)
改訂履歴
2024.10.26 最後、刑事と社長の会話を変更。冒頭にあらすじを追加。
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