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サンモールの恐怖
"実は"と言うのも改まって何だが、秋田にいた頃から中野だけはしばしば来ていた。
仕事をしていた地域のアンテナショップがあったからである。
誰にも言ってない。言いたく無かったから。
まあ、言う必要も無いのだが。
私にとっての『地獄の四年間』時代は思い出したく無い事ばかりで、無論出張で中野に来ていた頃の事もあまり考えたくない。
が、何の因果か今は毎月のようにその中野で歌ってる。こんな事になるとは夢にも思ってなかった。
意思を殺していなければ、生きていられなかった。
何だかずっと無理に笑っていた記憶が。
ビールサーバーの注ぎ方を教えてくれたおじさんは元気だろうか。
アンテナショップで一日中働いた後、お互いに散々文句を垂れながら歩いた同い年のあいつは何をしているだろうか。
労働で朦朧とした深夜「大学時代の友達へ会いに行く」と言って、改札へ入って行った疲れた目をした彼を覚えてる。
中野に行く度に、サンモールの入口がとかく目に付く。
黒いスーツを着て、その道を歩いた事を思い出す。
路上ライブの度に見かけるサラリーマンが、昔の自分に見えて来る事がある。
マンスリーサザエさんを始めてからもう何度も中野に来ているが、私は未だにサンモールのアーケードだけは近寄れない。
怖い。怖い。怖い。
何だかあれを潜ってしまうと、昔に戻るような感覚がするからだ。
私は今、中野駅前で歌っている。
いつかアーケードを潜れる日は来るのだろうか。
どこかに"サンモールの恐怖"を抱えながら、私はこれからも歌い続けてゆく。中野駅前で。
最後になるが『月曜日の雪を知っている』は、そんな昔にやっと触れられるようになり創った曲だ。
私は、月曜日の雪の重さも、冷たさも、痛さも全部知っている。月曜日の雪には、もう二度と触れたくない。