英語を公用語としたSingaporeで何が起こったか?
これまた、今仲 昌宏先生の論文「シンガポールの二言語教育政策における政治的意義」からの引用です。
私は前述の通り6年超シンガポールに駐在してたのですが、良く考えると建国60年弱の歴史の中で実に1/10の期間を過ごしていたんだと改めて考えさせられました。
仮に私の故郷である愛媛県(シンガポールの1/5ぐらいの人口、日本の1/100の人口)で多くの人が英語を自由に話すようになったなら、シンガポールと同じような課題が噴出してくるかもなんて妄想もしてしまいました。
海外からの情報の流入は60年前とは比べ物にならないと思いますし。数十年経てば、愛媛の皆さんの間で広義の文化変容(acculturation)が発生してしまうかもしれません。実に興味深い!
今回も以下が私なりのTake‐Away(抜粋)です。
シンガポールは東南アジアにおける英国の旧植民地の中でも宗主国の言語である英語を積極的に公用語に据え、言語に関して謂わば自己植民地化したという点では他に類がない。
シンガポール建国前後、華人集団の英語派華人と華語派華人の間で最大の対立が生じた。海峡華人(Strait Chinese)は英語派でシンガポール生まれで中国との接点を持たないが、華語派は中国との絆を保ちながら、華語で教育を受け、祖国文化を強く指揮する集団であった。
イギリスは前者の成績優秀者に対しQueen’s Scholarshipを与え、イギリスの名門大学に留学させ、新植民地主義を実践した。この代表格がリー・クアンユーである。1959年に共産主義系の華語派と袂を分かち、実権を握った英語派はイギリス政府と連携しつつ、権力奪取に向け舵を取り、英語派は進学、就職に関しても有利となり、華語出身者は経済的に高い地位に就けなくなった。
1979年の政府による「華語を話そうキャンペーン(Speak Chinese Campaign)の実施は、大きな方針転換であった。政府は英語の道具的側面のみに捕らわれて、英語という言語が持つ文化的影響力を過小評価したことで思わぬ事態が生じ、慌てて方針修正を余儀なくされた。このキャンペーンによって儒教的な価値観を浸透させようとしたのは明らかで、当然に非華人からの反発もあった。要は、英語学習が進む(丁度20年前後)につれ、学習者の性格等に影響が徐々に表れ始め、政府が望む国家的Identityにそぐわない状況が現れ始めたのだ。
もともと資源のない小国家としては、国民全体を平等に教育するという思想に立脚しておらず、教育に関しては平等主義をかなぐり捨てて、エリート養成を最優先せねばならない程、切迫した危機感があった。優生学(eugenics)的な考え方を取り入れおり、優れた能力をもつ者を教育上優遇する制度を充実させ、能力主義を正当化する方針に関して各方面から批判を浴びつつも、これに基づいて法制化してきた。
1965年にリー・クアンユー首相は、言語学習はその言語の価値体系を学ぶことに等しいと発言。英語に習熟した結果として、自己の出身民族の伝統や文化を失う危険が生じ、これを回避する為に、第二言語は民族集団毎に割り当てられた母語とされる言語学習を義務化し、英語一辺倒となることを割ける方策をとった。
日本では、明治維新以降に英語から大量の語彙が日本語に翻訳されたが、飽くまで語彙レベルに留まっており、英語の土着化(Nativization)をしたMexican/Chicano EnglishやIndian Englishとは全く性質が異なると言って良い。
日本語だけで近代化を進めようとすると、必然的に江戸時代までの語彙ではとても賄えるものではなく、近代化する社会全体で必要な思想、概念、用語等々を広範囲に亘り、大々的に翻訳、導入しなければ不可能であった。
フィリピン、インド、シンガポールのように英語を国内共通語として、翻訳という作業を経なかった場合、自国語による高等教育が困難であった。日本のカタカナ語化は、ある意味で語彙面における日本語の近代化のアップデートを継続している証で、変化し続ける現代社会に対応している証でもある。
シンガポールのように英語が第一言語の地位を占めると、海外の情報は翻訳を必要とせずDirectに流入する為、英語文化からの影響は避けられない。国民は自然に国際的視野を持つようになり、民族性が薄まる傾向が生じ、所謂、異文化との接触によって生じる広義の文化変容(acculturation)が生じる。従い、シンガポール政府は独自の倫理感に基づいた厳しい規則を通じて社会安定や秩序を守ろうとしている。
シンガポール英語 (Singapore English)については、現地の英語教師の間では、言語的不安(Linguistic Insecurity)があると言われている。これはシンガポール国内で使用される英語に階層性が生じており、高等教育を受けた人は標準シンガポール英語(Standard Singapore English)を話す傾向があることに起因する。標準シンガポール英語は、外来のイギリス英語に対抗する意識から生じたものであり、シンガポール国内の英語を標準語で体系化することで言語的不安感を克服しようとする考えを表している。
2000年に政府が主導した「良い英語を話そう運動(Speak Good English Movement)」は所謂、Singlishを廃して国民の話す英語を標準英語に統一しようという教育政策だが、効果は上がっていない。SinglishがCockney(ロンドン訛り)の生まれ変わりだという主張もそれなりに説得力がある。
1991年当時の文部大臣(Tony Tan)が「英語は飽くまで技術を手に入れ、国際ビジネスにおける力を強める為に必要であり、疑似的な西欧社会化を目指している訳ではない。」と述べている。
シンガポールの二言語教育政策における政治的意義https://www.tsu.ac.jp/Portals/0/research/30/35-48.pdf
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