声は音の顔(Auditory Faces)? Accent Biasとは?
「英語発音の見える化」の基準発音を何にするか?は、とても重要なことだと考えてます。もともとの私の発想は、ユーザーの好む英語の発音を見える化して、好きなだけ練習してもらい、発音を習得できるようなサービスを届けたいというものでした。つまり、世の中には様々な英語がある訳なので、例えば、アメリカ英語しかオプションがないということではなく、他の国や地域の英語発音オプションも選べるというのが理想的だということです。勿論、初めから色々なオプション提供するのは難しいと思いますが、最終的にはそんなサービスが展開できるといいなぁと考えています。
また、まずは、英語から始める訳ですが、日本語含め、他のどんな国、地域の言語の発音を見える化して、ユーザーの皆さんに比較的かんたんに楽しく発音を習得して頂けるサービスを目指したいと考えています。
さて、今回は調査の一環で、Accent Biasなる問題を取り上げているPodcastや記事を見つけましたので、気になった点を中心に、少し私の頭の整理をしてみました。
まず、印象に残ったのは、人は相手の発言内容だけでなく、声=音の顔(Auditory Faces)を通して、相手がどんな人なのかを、判断しようとしているということです。
胎児は、母親や自分の鼓動を聞き、身近な人間の言葉やアクセントに慣れ親しむ。生後5ヶ月頃には、馴染みのある言葉を話す人をより良く見る(Preferenceが芽生え)ようになり、生後10か月頃には、PreferenceがTrustへと昇華され、例えば、同じオモチャを差し出されたとしても、身近なアクセントの人間から差し出されたオモチャを選ぶ傾向にあると。
更に、幼稚園に入る頃になると、人種よりも同じ言葉やアクセントのお友達を好むようになると。10歳頃になると、映画、アニメ、ジョークなんかを通して、ある地域の言葉遣いやアクセントはSmartやNice、一方、別の地域のアクセントは、イケてない、MeanだなどというStereotypeを刷り込まれる。
DiversityやInclusionを積極的に進めるHarvardすらも例外ではなく、20%近くの学生が南部出身にも拘らず、キャンパスでは南部の言葉遣いは、殆ど聞かれない。2018年当時の南部出身の学生の体験談からも実情(の一部)がうかがえます。
米国において、アクセント含め標準的な英語を話す人たちは、より知的で、ステータスが高く、能力があって、信頼できると思われていると。つまり、”Clearly how something is said is overpowering the idea, knowledge and experience being expressed. “ということで、どのような言葉(アクセント含む)をもって話されたかが、アイディアそのものよりも重要性をもってしまい、ある人間に対する人々の評価や判断に大きな影響を与えていると。
英語は世の中で広く使用される言語であり、Native Speakers側が様々なアクセントに心を開き、意識を変えるべきという提言は多いと思いますが、アメリカ国内でも、ここで語られているような実態があるということで、改めて非常に深いテーマだと感じました。
ただ、よく考えてみると、私自身、日本語であっても、愛媛の言葉(伊予弁)を仕事で使うことは粗ないなぁと。以前の「言葉とIdentity」でも少し触れましたが、Acculturationや同化の一環なんだろうと思います。要は英語に限らず、日本にも存在する問題だろうと思いました。
実は、自宅(今はシンガポールと日本でバラバラですが)では、ちょこちょこ伊予弁混じりで会話することが多く、家族は愛媛に住んだことがないものの、皆、ほぼBilingual(標準語と伊予弁)なので、彼らも愛媛の私の実家や家族にとても愛着があって、自身のIdentityの一部と捉えているのかなと思ったりします。
以下が参考とさせて頂いたPodcastや記事です。
Hear Me Out: Accent Bias
https://outsmartinghumanminds.org/module/hear-me-out/
Accent trumps race in guiding children’s social preferences
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3096936/
Y'all and Drawl
https://www.thecrimson.com/column/southern-accented/article/2018/1/31/hackney-yall-and-drawl/
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