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地中海へ 〜南仏アラカルト〜 カルカソンヌ

「カルカソンヌを見ずして死ぬな」という言葉がある。世界遺産としても名高い城塞都市だが、私の中での優先順位は元々高くはなかった。滞在先のトゥールーズとモンペリエの間に位置していたので、そこまで言われるなら、移動日についでに回ってしまおうと思い立ったのである。
 そんな気持ちだったからかは判らないが、トゥールーズからの列車は途中で足止めとなり、ただでさえタイトな移動日の行程はさらに短縮され、カルカソンヌでの滞在時間は一時間半となってしまった。
 カルカソンヌの城塞は町はずれの丘の上にある。表側裏側と二つのアプローチがあるが、どちらから行ってもキャリーバッグがついて回る。荷物とともに町はずれまで歩き、荷物とともに丘を登る。そこまでは想定していた。しかしそれをすべて一時間半で済ませ、観光する余裕などあるのだろうか。心配性な人は、諦めて駅で一時間半を過ごすかも知れない。しかし私にはその選択肢はなかった。見ずして死ぬなと言われているのに、みすみすフイにするなどという芸当はできない。私は奮い立った。丘を登る時はキャリーバッグを体の前に回して、押して駆け上がった。カルカソンヌを思い返すと壮大な城塞とともに、コロコロという音が今も私の耳の内にある。
 スペインとの国境近くに位置し、地中海と大西洋を結ぶライン上にあるカルカソンヌは、古くから要衝の地だった。古代ローマ時代より始まった総計1.7kmに及ぶ城壁は、ルイ14世の頃までの間に、断続的に形造られて行った。フランスとスペインの国境を画定した1659年のピレネー条約をもって、歴史的役割を終え、現在までその姿を留めている。
 市街地を抜けてロード川の橋の袂までやって来た。すでに20分が過ぎている。川越しに眺める城塞の威容に素晴らしさを感じると同時に、荷物とともにあそこへ登って観光して降りて駅まで戻るのに、残り一時間強しかないことに私は戦慄を覚えた。
 裏手のナルボンヌ門から入り、表のオード門へ出ることにした。オード門は急坂直登ルートだからである。私は裏手に回って、緩やかな坂をコロコロと駆け上がって行った。
 空堀を渡って入る。その時の、橋の壁の窓枠から見る城塞はとても絵になった。間近で見る城塞の全景はただ威容としか形容できないが、窓枠で限ることで、城壁も砦もその遠近感も、青空や芝の鮮やかさも、より際立って見えた。
 門を潜ると城内には、いかにも中世の街といったような入り組んだ街路が拡がり、カフェや土産物屋などが軒を連ねている。博物館もあったが、その時間はない。店巡りや、カフェでゆっくり時間を過ごしたくもあったが、当然ながらそうもいかない。
 結局コロコロと旧市街を通り抜け、反対側のオード門へ。門を抜けると急坂が待っていた。私はキャリーバッグとともに急坂を一直線に駆け下りながら、後ろを振り返った。一本道のアプローチの上に、いま通ってきた城塞が威容を誇っていた。青空に浮かぶ雲が一つ二つ、城壁に懸っている。
 私はしばらくの間それを瞼に焼きつけ、息を大きく吸い込んで、また急坂を駆け下りて行った。短い滞在ながらも、城塞の威容と素晴らしさをダイレクトに感じられるカルカソンヌ体験となった。

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