パリ逍遥
フランスには二つの国があると言われる。パリとフランスである。
これはフランスの地方を巡れば感覚的に判ぜられてくることで、地方にこそフランスがあり、パリはあくまでパリである。フランスの本当の魅力に触れたければ、どこかの地方に滞在することをお勧めする。パリでフランスを満喫することなど、ありはしない。
しかしパリにはあらゆるものがある。そこに来れば知的好奇心も美的感興も、その多くを満たすものがあるだろう。そんなパリを、私なりに、興味の赴くままに、方々を歩いてみた。
パリに来て私が真っ先に訪れるのはチュイルリー公園で、観光の合間に立ち寄るのもチュイルリー公園である。傍らをセーヌ河が流れ、隣にルーブル美術館、橋を渡るとオルセー美術館がある。シテ島やカルチェラタン、サンジェルマン界隈も近く、パリにある重要な史跡の多くは徒歩圏内である。
公園の中央には噴水のある池があって、それを囲むようにベンチが並ぶ。背もたれが深いのでゆったりでき、自然に足は池に向かって投げ出す恰好となる。陽気のいい日は木陰のコントラストが美しい。
もう一つ上げなければいけないのは、リュクサンブール公園である。目の前にはアンリ4世の后、マリ・ド・メディシスの宮殿がある。現在は上院議会になっていて、庭は公園として一般開放される。
宮殿を前に花壇と噴水の広大な空間が展け、傍らにはマロニエの樹々が覆っている。このマロニエの木陰のベンチに座る時間は、夢心地と言っていい。周りは木の葉に覆われ、ところどころ木洩れ日が差し込んでいる。視界の向こうで樹々は切れ、光が溢れている。
パリで多くの人が時間をかけて回るのは、やはりルーブル美術館だろう。元が宮殿だけあって、ルーブルの広大さはとてつもない。
まずは広場にあるガラスのピラミッドから入る。歴史ある宮殿のど真ん中に出現するクリスタルな三角錐は、出来た当初こそ批判も大きかったらしいが、今ではすっかりルーブルの顔となっている。
入るとそこは地下で、フロアマップが置いてある。ルーブルは大別すると三つのエリアがあるのだが、初めて行った16年は一つのエリアしか回ってなかった。当時はユーロ観戦もあったので、そこまで時間も意識もかけられなかったのだろう。観ていない絵が大量にあることを知ったのは、迂闊にも帰国してからのことだった。19年の再訪で、観たい絵はすべて回ることができた。
ルーブルはコの字型の長大な宮殿で構成されていて、入って右がドゥノン翼、正面がシュリー翼、左がリシュリュー翼と呼ばれる。
まず大きな階段を上がると「サモトラケのニケ」があり、そこから人の流れに導かれるようにして歩いて行くと、「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」をはじめ、ダヴィッド「ナポレオン一世の戴冠式」、ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」、ダヴィンチ「洗礼者ヨハネ」、アングル「オダリスク」と、教科書でもおなじみのこれらすべてはドゥノン翼である。ここを観て回るだけでも半日はかかる。しかもルーブルを訪れる人の多くはドゥノン翼から回るので、混雑も大きい。特にモナリザの前はかなりの人だかりが出来ていて、人垣の間から小さなモナリザを拝まねばならない。
反対側のシュリー翼からリシュリュー翼にかけて、フェルメールやラトゥール、アングルやドラクロワなどの絵が続く。個人的にはプッサンの絵がまとまって置いてあったのが興味深かった。この17世紀の画家に影響を受けたのがセザンヌである。セザンヌの水浴画のなかにある三角形は、プッサンのなかにもある。セザンヌはプッサンを通して絵画の奥義を摑み、絵画の近代化を実現した。
他、ナポレオン3世の居室をはじめとした多くの歴史的資料や装飾美術、彫刻などが並ぶ。全部を一通り観て回るとなると丸一日かけても無理である。だから、今回はこのエリアという具合に、テーマを絞って鑑賞することになる。コの字型に長いルーブル美術館は、端から端まで歩くだけで大変である。
ルーブルの前にあるチュイルリー公園からセーヌ河を渡ると、対岸に見えるのがオルセー美術館である。収蔵作品の時代区分としては、二月革命のあった1848年から一次大戦勃発の1914年までとなっている。それ以前はルーブル、それ以降はポンピドゥセンター、その間の70年に満たない期間がオルセーである。
19世紀後半から20世紀初頭にかけては、絵画史上めまぐるしい時代で、私にとっては好きな絵画の大半がここに入ると言っても過言ではない。パリへ行くのは、そこにオルセーがあるからである。
開館は1986年と新しいが、建物自体は1900年のパリ万博に合わせて建設された駅だった。しかしその後は衰退の一途を辿り、一時は取り壊しの声も出た。資金難でこの壮麗な駅舎の建て替えを先延ばししている間、ルーブルが手狭になったことで新美術館開設の機運が生じる。建て替えはせずに、ここを美術館として再利用しよう。こうして出来たのがオルセー美術館である。
元が近代的な駅舎なので中は吹き抜けの広大な空間が拡がり、中央の広い通路に彫刻が置かれ、左右は二層に渡って展示空間が連なっている。
日常の現実の光景を神話を描くように描いたクールベの「オルナンの埋葬」は圧倒的スケールで胸に迫り、日常の取るに足らない小さな光景を描いたマネのレモンやアスパラガスの絵のその絵画性に酔いしれる。そしてセザンヌの絵の前で釘づけになり、ゴッホ、ゴーギャンと続く。
奥にあるエレベーターで五階へ上がると、印象派の絵画が一堂に収められ、圧巻の空間となっている。マネにはじまり、モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、ドガ、そしてセザンヌと、休む間もなく傑作が連続する。
日本でやる絵画展では、この中の一部を目玉にして構成されるが、全部目玉が次々と押し寄せてくる絵画体験は、さすがに本場オルセーでしか味わえない。カフェやレストランも中にあるので、一日中過ごせる。ルーブルのように遠大ではないにしても、印象派や近代美術に興味がある人なら、丸一日かけても足りないくらいに違いない。
ルーブルやオルセーのエリアから東に進んで行くと、これから訪ねる美術館を予感させるような建築がところどころ出現する。しかし目的の美術館の外観はさらにブッ飛んでいる。奇抜を絵に描いたようなそれは、一見して建設中のように見える。導線やダクトがむき出しになっている。美術館は上階にあり、むき出しになったチューブ状のエスカレーターで上がる。それは一直線に、構造体の前面を対角線で結んでいた。
噂に聞いていたポンピドゥセンターは、オスマン調のパリの街で、ひときわ異彩を放っていた。パリは街を歩くと時々不意に、こういう建築が出現するところが面白い。20世紀以降の美術が展示されるポンピドゥセンターには、映画館やホール、図書館なども併設される。
美術館で展示される作品は、前半はマティスやドラン、ピカソやブラックなどの絵が続き、それなりに見応えがあるが、途中から訳が解らなくなって行く。便器が置いてあるだけの作品や、太いロープを上から垂らしているだけの作品をどう鑑賞したらいいのか、私には解らない。
鑑賞が終わると午後になっていて、夏の強烈な陽が照りつけていた。むき出しチューブのエスカレーターは、五階から一直線に地上へと連なっている。内部は当然風もなく、空調も効いてない。幸いにも他に人がいなかったので、私はダッシュでそこを駆け降りた。あれだけ長いエスカレーターを駆け降りたのは、幼少期にもない。振り返ってみるとそれが、ポンピドゥセンターでの一番の思い出である。
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