松田 悟志
母子の家庭に生まれ、弱くて何の取り柄もなかった嘘つきな少年のお話です。 幼少期のエピソードから青春時代、そして上京して俳優となり、『仮面ライダー龍騎』のオーディションからその撮影に突入するまでの紆余曲折の日々を、自叙伝小説の形式で書かせていただきました。 きっと伝わるものがあるはずです。読んでみてください。
仮面ライダーのなり方 〜嘘つきで泣き虫だった僕がナイトになるまで〜 プロローグ 建物全体が大きな愛情深い生き物となって、大声で叫んでいるようだった。 暗闇の中、その熱のこもった叫声に包まれていると、それまで感じたことのないような感謝と、寂寞にも似た不思議な感情に満たされていった。そしてなぜか、少し涙が出たんだ。
手元に届いた台本には、「秋山蓮/仮面ライダーナイト」と書かれた下に、しっかりと「松田悟志」と書かれていた。この名前に生まれ変わった僕が立ち向かう、最も大きな仕事であることは間違いない。まぎれもない、人生をかけた試練だった。 そして、この役を通じて、僕は今まで僕のことを全く知らなかった多くの方々に出会うことになるだろう。そのことを考えると、ページを捲る手が震えた。 川口さんとの電話を切ったあと、母に電話をかけた。 「なんやのん。なくなったり、またやるってな ったり
帰りは銀座から地下鉄に乗り、自宅の最寄駅まではもう一駅あったけど、ふと気がつくと電車を降りていた。 「あ、もしもし?」 「なんやのん、どうしたん?」 母の声は、いつもと何も変わらなかった。 「いや、何もないねんけどな。あの、『仮面ラ イダー』の仕事するって言うてたやんか。 あれ、なくなってんやんか」 「そうなん? なんやのん、急にそんなんなく なったりすんの?」 「そら、なくなる時は一瞬やで。そういう世界 やから」 心の中で「どういう世界だ
僕が最終オーディションに残ったという連絡は3次審査の後、すぐに来た。 そして迎えた、オーディション当日。 「いよいよだね」 東映の銀座本社へ着くと、あからさまに緊張した面持ちで川口さんが言った。エレベーターを降りると、スタッフの方が控え室へと案内してくれた。 広い、会議室のような空間だった。そこに、同世代の俳優が何人もいて、今までこの人たちと競い合っていたのかと、ライバルのはずなのに、ずっと見えなかったものが可視化された安心感のような、不思議な感情が芽生えた。
未曾有のテロの影響により、これまでの俳優人生では掴んだことのなかった大きなチャンスを掴み、そして逃した僕のもとに、なんと「今回のテロを受けて制作することを決意いたしました」という文言が添えられた、あるオーディション要項を川口さんが持って来てくれた。 ペラのコピー用紙数枚をホチキスで留めただけの簡単な募集要項には、今回のテロに対する怒り、そして未だ悲しみに暮れる日々の中ではあるけれど、それぞれがそれぞれの正義を振りかざしたら、世の中は一体どんなことになってしまうのか。今回
週末の撮影は、どちらもうまく行った。 川口さんと決めた作戦通り、怪我をしていることは隠した状態で、装具を全て外して現場へと入り、そして、終わった後で先生のところへ駆け込んだのだった。 「今日も仕事して来たのか! ダメだって言って るのに!」 そう言いながら、先生も少し笑顔になっている。 撮影初日の夕方、閉院直前に僕が全ての装具を外した状態で駆けつけた時には、それはもう本当に怒られた。でも、それでもどうせ言って聞かないのであれば、それはもう仕方がないと。その条件
珍しく2本同時に決まった仕事を、右手中指の大怪我によって失いかけていた僕がとった行動というのは、紛れもなく「最悪の一手」だった。 どうしてもこの現実を受け入れることができず、普段はけして行かない近所のパチスロ店に行ったのである。川口さんは必死で動いてくれている。それがわかっているだけに、自分が置かれたこの状況を正面から受け止めることができなかったのだった。 朝起きてパチスロ店に入り、ただただその機械を見つめて、他のことを考えなくて済むという状況を求めていた。勝った負け
一瞬、何が起こったのかわからなかった。ただ、直後になぜかへなへなと下半身の力が抜けて立っていられなくなった。 薄暗い荷台の奥で不意に尻餅をついた僕を見て、みなの作業の手が止まり、ベルトコンベアの後端からいくつかの箱が床に落ちるのが見えた。 「止めろ!止めろーーーっ!」 現場を仕切っていた社員さんが大声でそう叫び、急いで荷台の中へと駆け込んできた。 「大丈夫か!」 「はい。えっと…僕、どうしたんですか?」 「挟んだのか?」 「いや、それがわからないんですけど」
東京に出て来て、「自分は俳優です」と名乗るようになって、一年が過ぎ、二年が過ぎた。 俳優としての仕事は月に一本あるかないか。1シーンちらっと出るか、セリフがあればいい方で、受けるオーディションはことごとく落ち、まだまだ下積みの感は否めなかった。 「どう、悟志。そろそろ荒波に漕ぎ出して みる?」 事務所の近くの大戸屋という定食屋さんで二人で晩御飯を食べている時に、川口さんがふいにそう言った。見ると、大きめのカツを頬張りながらではあるけれど、いつになく真剣な眼差しを
『多重人格探偵サイコ』のクランクアップから数日がたち、僕は三池監督宛てに手紙を書くことにした。 内容はシンプルなものだった。まずは芸名の件のお礼を伝え、続いて現場であのようなスランプに陥って現場全体にすごく迷惑をかけたことを詫び、そして、「僕に大きな成長が見られない限り、今後しばらくは僕を使わないでください」という、一体どのポジションから物を言ってるんだと突っ込まれても仕方がない内容だけれど、それでもどうしても伝えたい想いをそのまま書いた。 あのスランプに陥ったことで
俳優として生きていくと言っても、まずはこの東京で生活をしていかなければいけない。ということで、さっそくアルバイトを探すことにした。昔から数々のアルバイトを経験してきたけど、この東京の街では初めてだ。人の数も街の規模も、今まで僕が見てきたものとは比べものにならなかった。 「場所、どこがいいと思います?」 川口さんにそう聞いてみると、 「俺は、できれば渋谷にしてほしいかな。それ で、悟志が働いているところが見れるところ がいいね」 「え、見に来てくれる
デビュー作をすでに撮り終えた状態で、年をまたいで事務所に所属した僕にとって「デビュー」のタイミングはどこに当たるのかという話をよくしたのだけど、やはりデビュー作だろうということになって、1999年というのが僕のデビュー年になった。 そして事務所に所属が決まってまずやらなきゃねとなったのが、活動していく名前をどうするかという問題だった。 僕には本名がある。それは、両親がつけてくれた大切な名前ではあるけれど、僕の名前には父親由来の漢字が一文字入っており、まさにその父
サンミュージックプロダクションを選んだことを一番に喜んでくれたのは、長岡さんだった。 「あそこはすごく温かい事務所だから、君は きっと気に入るんじゃないかと思っていたん です」 そして、誕生日にはサンミュージックコップと呼ばれる江戸切子の青いガラスコップがもらえること、お正月には社員とタレント全員に社長からお年玉がもらえることなどを話してくれた。どのエピソードも、あの社長さんを思い出すとすんなりと納得できるものばかりだった。 長岡さんと一緒にあらためてそのサ
歩き始めると、まず新宿三丁目という大きな交差点に差し掛かった。その一つの交差点を中心に、僕が名前を知っている百貨店が全部その一箇所に集まっていた。 なんて栄えたところなんだと驚いたけれど、東京に来るようになってからというもの、行く先々にこのぐらいの規模の都会があって、だんだんと見慣れて来ている自分を感じてもいた。 地図の通りだったら、確かここを越えて少し行ったら、右手に「新宿御苑」というのが見えるはず。通り沿いにある「世界堂」と書かれた大きな画材屋さんの前を通り過ぎる
電話ではどうしても聞き取れなくて「天王座、入ルですか?」と、謎の京風な地名を連呼する僕を見かねて、石田さんがテーブルにあったティッシュの箱の側面に「天王洲アイル」と書いて僕の前に出してくれた。僕は必死で笑いをこらえ、「すみません」というジェスチャーをしながらその電話相手と話し、東京モノレールの天王洲アイル駅で待ち合わせる約束をした。 石田さんが「とても強い会社だ」と言ってくださった会社の方との面談だった。ものすごく人気のある歌手の方がやっているミュージカル公演を観せて下
一週間と言う時間は、人生のことを決めるに決して潤沢な時間ではなかったけれど、僕の中ではほとんどの答えが出ていたし、餅月さんとも話せたことで気持ちはまとまっていた。 僕は、「俳優になる」と心に決めた。 「総合芸術」だと言ったドラマや映画の製作に携われることが一つ。それから、自分のパフォーマンスを自分の努力次第で高めて行けるということ。そして、何よりの決め手になったのは、実際に演技を経験した時に感じた、ある特別な感触だった。