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古民家で暮らそう!①「この家賃から開放されたい…」

以前住んでいた兵庫県西宮市の生瀬には、14年ほど賃貸で一軒家に住んでいました。その前は能勢の妙見山の麓に住んでいたのですが、室内で複数の動物を飼育することができるという条件でしたので、家賃は少し高かったけどこの家に決めました。

宝塚から一駅目で、大阪まではJRで30分ほどで出ることができるので、当時、会社勤めをしていた僕にとっては、それなりに田舎っぽい雰囲気&通勤への利便性を兼ね備えた、理想的なお家でした。それにちょっとレトロな洋館のような感じの家で、しかも庭にたくさん木が植えてあるので、大きな木枠の窓から見る庭の景色はとても気に入っていました。秋になるとモミジの紅葉が見事で、庭一面がモミジの絨毯になるし、家の前の川沿いは桜並木です。
家の中には何故かステージがあったので(舞の先生をしておられたのかもしれないと思っています)、いろんなミュージシャンが演奏に来てくれて、よくホームパーティーを開催していました。全然知らない人がいつの間にかいたりして、いろんな人に巡り会わせてくれた素敵な家です。

自作のウッドデッキ
年に2回、40人ほどが集まってホームコンサートを開催していました

ただ、家賃11万&駐車場代¥8,500というのは、かなりイタい…。働いても働いても全部家賃に消えるって感じで、それに加えて川向こうの国道は結構うるさい。高速道路が渋滞すると、こちら側に車が降りてくるバイパスになっているので、1階は木が茂っているのでマシですが2階は一晩中かなりうるさい。その国道がついに4車線に拡幅されることになり、これまで以上に喧しくなることは間違いありません。途中まで延ばす道路工事も相当うるさかったので、これから始まるであろう工事期間もうるさいのは目に見えています。
しかも、いつの間にか出来た川向の鉄工所が調子に乗って夜遅くまでカンカンうるさいので、仕事部屋も庭が見えるきれいな部屋じゃなく、奥の納戸に引き籠っていた始末…。
更に、武庫川の河川拡幅工事のために川沿いのこのエリアはいずれ立ち退きになるということでした。これ幸い!と立ち退きの説明会などにも出ていたのですが、いつまで経っても行政の態度はウダウダと同じことの繰り返しで何も決まらず、挙げ句の果てに振り出しに戻るようなことになってしまうという繰り返し。
こんなことに付き合っているヒマはないので、自主的に引っ越しをすることに決めました。

武庫川沿いの自宅前の道は桜並木でした

僕が会社を辞めて、自宅で仕事をするようになったのが38歳のときです。イラストレーター&デザイナーの仕事なので、基本的にはネット回線さえあればどこでも仕事ができます。大阪に出ることなんて、飲み会とかが無ければほぼ3ヶ月ぐらい出る必要も無いような感じなので、もともと住みたかった田舎に引っ越しをするチャンスではありました。
ただ、計画的に独立した訳ではなく、妻の双極性障害という病気の世話をするためにいきなり会社を辞めたので、独立して最初の2年はホントにお金がなくて、食べるものにも困ったぐらいです(そうは見えなかったらしくて、誰も信じてくれないけど)。一時期ずっと丸坊主にしていたけど、あの頃は散髪する金があるぐらいなら米を買うっていうぐらい超貧乏だったので、自分でバリカンで頭を刈っていました。なので、家賃を払うのは大変だったけど引っ越しをする金すらない…という、本当に苦しい2年間でした。

デザインと共にイラストも制作

やっと少し仕事が安定して来てまず最初に考えたのが、「この家賃から開放されたい!」ということでした。気に入った家だったけど、個人事業でこんな家賃を維持するのは非常に危険なので、とにかく賃貸の安い家に変わらないと…。でも、家って自分の人生の中でも重要な意味を持つものなので、気に入らない家には移りたくない。そうなると、自ずと田舎の家ということになります。
それに、妻が大阪の教会でパイプオルガンを弾いているので、彼女が大阪に通える場所…となると、篠山しかない!大阪からなら篠山口まで快速電車が走っているので、理想的な場所といえます。その篠山エリアで、3~5万円ぐらいの家賃の家を探したいなと思って、ときどき車で篠山方面にふらりと出かけては引っ越しを考え始めたのが40歳ぐらいのときです。

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