使徒言行録11章19節ー30節
「アンティオキアにて」音声はこちらからお聞きになれます。
大都会アンティオキアに教会が生まれた経緯は、計画性によるものではありません。迫害で散らされた無名の信仰者たちがこの町に流れ着き、ユダヤ人を対象に伝道していたことから教会が自然発生したのです。彼らの中のある者が、ギリシャ人、即ち異邦人に福音を語ったところ、異邦人が救われ出したというのです。きっかけは自然発生でしたし、ちょっとした思いつきからでした。神のみわざはこういう小さいところから始まるものなのです。
これは遠く離れたエルサレム教会の知るところではありませんでした。しかし一度噂が耳に入るとこの働きは無視されません。むしろ積極的に教会の交わりに加えようとバルナバが派遣されるのです。彼のしたことは聖霊による励ましです。特に信仰にとどまり続けるようにと言うのは、信仰者であり続けることの大切さを説いています。あらゆる誘惑やスランプを乗り越えて生涯、信仰にとどまることを主は求めておられます。
その結果、多くの者が救われ続け教会は成長します。その前進のゆえでしょう。バルナバはサウロをタルソの町まで探してアンティオキアに連れてくるのです。もちろん奉仕者が足りないという背景があったのでしょうが、誰でもいいわけではありません。異邦人伝道の選びの器サウロを一体どこで使うのがふさわしいか、ずっと考えていたと言うことでしょう。神はふさわしい場を用意して下さいます。私心のない者の人を見る目も鍵となります。
実際、サウロはこの町で大勢の信仰者を教えますが、興味深いのはこの町で初めてクリスチャンと言う呼び名が定着したことでしょう。これは自称ではなく周囲の人がつけたニックネームでした。キリストにつく者という意味です。今まではユダヤ教の一部だと思われていたのです。ところが彼らはユダヤ教とはまったく違う集団だということが一般の人の目からも明らかになるほど、信仰面や生活面が際立っていた証ではないでしょうか。
この教会では預言活動も盛んでエルサレムから降って来た預言者のひとりアガボが飢饉を預言します。自然災害ではありません。民族的戦乱で食糧の供給ルートが断たれたのです。その影響が広範囲に及ぶのです。ところが、飢饉が起きるや否や、アンティオキア教会は遠く離れたエルサレム教会のために援助を惜しみません。彼らがそれぞれの力に応じて捧げた自発的な自由献金からでした。誰かから強要されたものではなかったのです。
教えられるのは生まれて間もない教会が遠く離れた、行ったこともない教会の消息を案じていることです。自分たちのことばかりでなく、主にある教会の力になりたい熱意を持っていたことです。これは彼らがキリストにある者だったからです。世界を治めるキリストに目を注ぐ者は、狭い意識にとどまれません。世界に広がるキリストの教会に関心を払うはずなのです。同じ主を信じる私たちはアンティオキア教会と同じスピリットに立てるのです。