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ヨハネの手紙第一4章5節ー6節

「真理の霊」音声はこちらからお聞きになれます。
ヨハネは偽預言者について注意を促すのです。なぜなら偽預言者は影響力があるからです。その語りぶりに世の中の多くの者が耳を傾けるというのです。彼らの耳ざわりのいい言葉が人の心を捕らえます。罪を語ろうとはしませんし、贖いを語ろうとはしないのです。都合の悪いことには目を閉ざし口をつぐんで、人間の可能性や自己実現だけを語って人々を惹きつけていくのです。それが反キリストの霊によって語る者の実態でしょう。

仮にこういう霊で満たされていくならば、福音に立てない教会は教会ではなくなってしまうのです。しかし、真理の言葉に耳を傾ける人もいるとヨハネは言うのです。教会がなすべきことは偽預言者の働きを消すことではないでしょう。惑わされないようにますます神の言葉を聞き続けるのです。十字架と復活のイエス様の言葉です。聞き続ける者だけが語ることができるのだとも言えます。聞きもせずに語れるはずがないではありませんか。

それでは、どうやって語ればいいのでしょう。自分には語る力も資質もないのにとひるむ必要はどこにもないのです。なぜなら真理の霊が教会に属する私たちには注がれているからです。真理を悟らせ、真理を語らせる聖霊の働きがここでは強調されています。真理の霊が臨むとき、何が悪霊の惑わしであり、何が受け入れるべきことかを見分けられるようになると言うのです。だから惑わす霊に引きずられていくことはないのだと励ましているのです。

神の霊によって語らされる。これが旧約聖書以来の預言者の伝統でした。自分で語るのではないのです。私たちもそういう意味では全員預言者だと言ってもいいでしょう。聖霊によって語らされたとしか言えない体験があるのはそのためです。それは教会の外でこそ必要な働きなのです。なぜなら、惑わしの霊にとらわれている者を解き放つことは真理の霊に従う者にしかできない働きだからです。これを教会では伝道と言うのです。

闇の中に光を差し込むようなものです。ただし、私たちが証さえすれば簡単に誰もが救われるなどと生やさしいことをヨハネは申しません。私たちに耳を傾けない者がいるのだとはっきりと書かれているからです。頑ななのです。それでも語り続けることができるのか。尚、証し続けることができるのか。どんな挫折にも諦めることなく忍耐をもって取り組むことができるのか。問われているのです。

困難をきわめる働きに希望があるとするならば、私たちに与えられている真理の霊によってだというほかないでしょう。聖霊が私たちを燃やすのです。聖霊が力づけるのです。どれだけ打たれても御霊が私たちを強くしていくのです。この霊に満たされる時に誰でも語らずにはおれない。証しせずにはおれない。そこから必ず起こされていくでしょう。神を知る人が。あなたの声に耳を傾けようとしている人が必ず与えられるのですから。

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