第二ペテロ1章5節ー8節
「準備万端」
ペテロは私たちに加えていくようにと勧めています。ここで言う加えるとは、準備すると言うことです。あるいは迎え入れるという言葉です。もともとは音楽のコーラスの指導者に使われました。コーラスを編成する立場の人は、素晴らしい声の持ち主がいればお金をつぎ込んででもスカウトしにいくでしょう。これはという人に目を付けたならば、遠くにまで出かけていき、必要をそろえる労を厭わないものです。あれもこれもと手を伸ばすでしょう。
同じようにクリスチャンはやがて神の性質に天であずかる日のために、自分の生活に力を尽くしてありとあらゆるものを迎え入れていくことが求められているわけです。主からの力を頂いているわけですから、その恵みが自分の生活に育っていくように期待するのです。具体的には徳、知識、自制、忍耐、信仰、兄弟愛、愛といったよきものをです。まるで階段を上がっていくように信仰者としてステップアップしていくわけです。
もう少し具体的に見ていくことにしましょう。徳とは道徳的生き方です。しかし何が正しく悪いかがわからないなら混乱しますので善悪の知識が必要です。またいくら知識があろうと行動に移さないなら無意味です。従って必要な時に必要なものを出したり控えたりするセルフコントロールが求められるでしょう。そのためには自分がやりたいことを自由にやっているだけでは身に着かない。好ましくないことにも耐える忍耐が鍵です。
さらには嫌なことに耐えるには当然神への信頼がなければ挫折してしまいます。信仰とは信頼のことなのです。神を相手に取っ組み合いの祈りをしてでも迫っていく姿勢が大切です。さらにはこういうものは自分一人だけで結べるものではありません。人間関係の中で生じるものである以上、兄弟愛が大切でしょう。それらすべては最終的には神への愛へと向かうものなのです。
いずれにせよ、信仰生活に必要だと思うものであるなら、執拗に貪欲にどんな犠牲を払おうと求めていくのです。適当なところで引き下がるような不徹底は望ましくありません。そこには怠惰な生活など入り込む余地もないでしょう。この程度でいいかと満足してもいけない。このことさえ心がけていくなら、気が付けばあなたの信仰生活は豊かな実を結ぶようになると約束されているのです。私たちの備えはいかがでしょうか。