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ヨハネの手紙第一5章9節ー10節

「真実な神の証」音声はこちらからお聞きになれます。
人が語った証を受け入れる。これは一般的によくされていることです。たとえば、何かを目撃した者が、わたしは見たと言えば、そうなのですかと信じるでしょう。裁判の席でも何人かの証言によって事実が確認されるでしょう。たとえ裁判官がじかに見ていなかったとしても証言が受け入れられるわけです。確かに私たちは人が語った証を事実として受け止めているわけです。

ところがここにあるのは人の証ではないのです。神の証です。神の証なのですから人の証言にまさる確かなものとして大切に扱う必要があるのではないでしょうか。具体的に言うならば、神の証とは御子キリストについての証なのです。その証拠が水と血に御霊にあることをヨハネは告げてきたのです。神はこの証をすべての人が信じて受け入れることを望んでおられるのです。

従って、この証を真実として聞いた者は、御子を信じる者だと言うことができるでしょう。それではキリストを信じるとはどういうことでしょう。自分には罪があることを認めるということです。キリストの十字架に自分の罪の赦しと救いがあることを信じて告白するということです。それはイエス様が肉体を持って生まれてきてくださった受肉と、十字架の贖罪、死からの復活を信じる信仰にほかなりません。

ところが、いくらキリストを信じると言っても、問題は信じている中身です。自分の罪を認めようともせず、受肉も贖罪も信じないということになると、御子を信じていないのと同じことになってしまうのです。それどころか、神の証を退けてしまうわけですから、それは神を偽り者とする間違いを犯していることになります。実際、間違ったことを信じる人たちは自分たちに都合のいい主張をして教会の交わりから出て行ってしまったのです。

私たちは神が与えて下さった証を心の中に持つ者であることを感謝しましょう。この証をどこまでも信じ続ける者とさせていただきましょう。この福音から一歩も逸れることのないように教会の交わりの中にとどまり続けましょう。神の証としてのみ言葉に聞き続け、ここに救いがあることを伝える者として用いられたいと願うのです。

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