アンノン族
1968年生まれです。子ども時代だったのは1970年代。思い切り昭和です。大阪府下に住んでいたので、1970年開催の大阪万博には家族で行ったらしく写真は残っている。「芸術は爆発だ」で有名な岡本太郎作の太陽の塔もリアルタイムで見ているらしいのだが、全く記憶にない。なにせ2歳です。
この年、出版界で特筆すべきなのはananという雑誌が誕生したことでしょうか。雑誌名はパリの動物園にいたパンダから名付けられた。その件からも推測できるがパリのエスプリ漂う新しい感覚の雑誌だった。エディトリアルデザイナーの堀内誠一が仕掛け人だった。伊勢丹の宣伝課につとめていた時代に催事の企画で鍛えられた人だ。友人が作家の澁澤龍彦だったというとなんとなく雰囲気がわかるだろう。現在のマガジンハウスから発行された。また翌71年にはnonnoという雑誌が生まれて、アンノン族なる言葉が流行する。
若い女性をターゲットにした旅行特集が組まれて、ひとり旅や、友人と二三人で旅する方が増えた時代です。前史として北海道のカニ族というのもありましたよね。死語でしょうか。大きな荷物を背負って北海道の列車の通路をカニ歩きする旅行者の姿から名前がつきました。個人旅行や、数人の旅行が流行する時代背景があるのでしょう。
歌は世につれと言うが、当時の流行歌も、もちろん世相を反映していた。1977年発表のさだまさしの歌「雨やどり」。大ヒットしたがB面に入っていたのが「絵はがき坂」という歌だった。絵はがき坂は造語で、長崎にあるオランダ坂のことを指していた。活水の地名も歌詞に歌われていた。発売当時のリアルタイムではなく少し後から聞きました。まだレコードやカセットテープの時代だった。これらの媒体も希少価値になった現代ではB面ももはや死語だろう。
歌詞の中に、アンアンノンノ抱えたお嬢さんと当時の社会現象が歌われていたのが妙に印象的だった。最初聞いた時は、はて、アンアンノンノとは何ぞやとさっぱりわからなかったことを思い出します。少し後になって、ああ、旅行特集をよく企画した雑誌の名前だったのかとわかって得心した。
閑話休題。1950年代のアメリカにはビート世代と呼ばれる世代があります。この世代を代表する作家に、ジャックケルアックがいる。「オンザロード」という小説が有名。後にヒッピーのカリスマになります。旅の物語だ。この世代の文化が映画ではアメリカン・ニューシネマに影響を与えている。歌ではボブ・ディランなんかにも影響を与えていますね。
アメリカの国土は広大だ。それもあって確かに旅するだけで物語になる。アメリカに行ったことがないので知識も断片的で何とも言えないのだが、東海岸から西海岸へという移動は、どうもフロンティアの国アメリカのDNAに昔からどこかに組み込まれているみたいなのだ。
映画の世界のジャンルにロードムービーというのがある。旅の物語ですね。おそらくこの流行も、ケルアックらに触発された部分が大きい気がする。間違っているかもしれないが、こういう仮説はどうだろうか。こういう小説や映画が海の向こうからわが国にやってきて、若い時に見た世代が、社会人になり日本でも雑誌を編集する側に回って、その影響からアンノン族が生まれたという。ありえそうな気がするのですが、違うだろうか。
当時、長崎に限らなかった。アンアンノンノを片手にカメラをもって旅する風景は日本各地で見られたようだ。日本の交通網は現代に比べるとまだまだだったから、目的地まで今以上に時間がかかっただろう。今以上に遠方という意識が強かっただろう。
今でこそ山陽新幹線も当たり前で、北海道から九州まで新幹線網が充実している。しかし博多まで開通したのは1975年の話だ。たしか岡山までの部分開通が最初だったと記憶している。ひかりは西へが国鉄のキャッチコピーだった。もちろん、「のぞみ」なんてまだ走ってない。東北新幹線も上越新幹線もまだなかった。高速道路網の方も現在に比べたらまだまだ未発達。飛行機は高額で乗れる人間はごく一部に限られていた。
つまり、国内のどこを旅するにしても現代の感覚以上にはるかに遠かったということは確かだ。旅先の特集として頻繁に登場したのが、京都だったらしい。京都は昔も今も旅行先としては魅力的ということか。京都のほかに、清里、軽井沢、倉敷などなど。なんだか西村京太郎のトラベルミステリーに出てきそうな地名が並んでいる。
アンノン族の中心は団塊の世代と呼ばれる層が中心だと思う。1970年代に20代だったとすると、現在は70代前後くらいの世代の方になるのだろうか。
優れた雑誌編集は時代を作るし、時代を反映するし、時代を変える。名編集者の腕の見せどころだ。雑誌が売れない時代らしいが出版業界には是非、がんばっていただきたいものである。牧師のわたしとしてはキリスト教雑誌にも期待したいところです。